城メモの一覧 [見所]

お城にまつわるいろんな情報を整理しています。うんちくや見どころはもちろん、周辺スポットやその土地の郷土料理なども網羅していきたいと思っています。みなさんからの情報提供もお待ちしています!(情報提供について

城メモの検索

見所についての城メモ(384メモ)

現在登録されている城メモの一覧です。

犬山城の天守

  • 見所
犬山城の天守は現存12天守のひとつで、国宝にも指定されています。 つづきを読む

大溝陣屋長屋門(陣屋総門)

  • 見所
分部氏が三の丸に構えた大溝陣屋の長屋門(陣屋総門)が現存しています。 つづきを読む

ひこにゃんの登場時間と場所

  • 見所
ひこにゃんは彦根城に毎日登場しますのでうまく調整して見学しましょう。 つづきを読む

小牧山歴史館

  • 見所
小牧市歴史館は、小牧山山頂に建てられた歴史資料館です。 つづきを読む

懐古神社(本丸跡)

  • 見所
懐古神社は小諸城跡を懐古園として整備した際に本丸跡に創建された神社です。 つづきを読む

御台所櫓

  • 見所
御台所櫓は龍岡城の数少ない現存遺構で、運動場の脇にあります。 つづきを読む

西門

  • 見所
二条城の西門は大政奉還の際に徳川慶喜が城外に出るのに使用したとされる門です。 つづきを読む

坂本城の石垣

  • 見所
坂本城の石垣は湖中が沈んでいるため、琵琶湖の水位が下がるとその一部が見れます。 つづきを読む

天守台石垣

  • 見所
小松城には天守が築かれませんでしたが、現在も天守台石垣は残されています。 つづきを読む

リの一渡櫓

  • 見所
姫路城の「リの一渡」では、歴代の姫路城のしゃちほこなどが展示されています。 つづきを読む

北桔橋門

  • 見所
北桔橋門はその名の通り、江戸時代は跳ね橋がかけられていた門です。 つづきを読む

福知山城石垣の転用石

  • 見所
福知山城の石垣には宝篋印塔、五輪塔などの「転用石」が大量に使われています。 つづきを読む

二の丸御殿

  • 見所
二の丸御殿は全国有数の現存御殿のひとつで、大政奉還の舞台となった場所です。 つづきを読む

千貫櫓

  • 見所
重要文化財に指定されている千貫櫓は徳川幕府による大坂城再建時に築かれました。 つづきを読む

大手門

  • 見所
大手門は徳川幕府による再建時に創建された枡形門で重要文化財に指定されています。 つづきを読む

二様の石垣

  • 見所
二様の石垣は熊本城の中でも、もっとも有名な写真撮影ポイントです。 つづきを読む

桜堀

  • 見所
現在、紅葉の名所として知られる桜堀は築城時に人工的に拡張した堀でした。 つづきを読む

武蔵の庭園

  • 見所
「武蔵の庭園」は宮本武蔵がつくった庭園を明石公園内に復元したものです。 つづきを読む

織田家長屋門

  • 見所
織田家長屋門は江戸時代から現存する長屋門で、船上城の遺構と伝えられています。 つづきを読む

松代藩鐘楼

  • 見所
松代藩鐘楼はは1801年(享和元年)に再建された高さ約12メートルの鐘楼です。 つづきを読む

本丸東虎口(復元櫓門、南北櫓)

  • 見所
本丸東虎口には復元された櫓門と、移築された南櫓・北櫓があります。 つづきを読む

太鼓壇と山中鹿介の銅像

  • 見所
太鼓壇と呼ばれる曲輪跡には山中鹿介祈月像があります。 つづきを読む

稲荷曲輪

  • 見所
稲荷曲輪は本丸の西側に位置する曲輪で、築城時は「西の丸」と呼ばれていました。 つづきを読む

人丸塚

  • 見所
人丸塚は柿本人麻呂を祀った塚で、城の鎮守のためにそのまま本丸に残されました。 つづきを読む

中堀

  • 見所
中堀は築城当初からある堀で、現在も明石公園の周囲を囲んでいる水堀です。 つづきを読む

鴻ノ池(剛ノ池)

  • 見所
現在は県内有数の花見の名所として知られる剛ノ池は外堀の一部でした。 つづきを読む

三の丸(本三の丸)

  • 見所
三の丸は現在の明石公園の西芝生広場と野球場のあたりにあった曲輪です。 つづきを読む

二の丸、東の丸

  • 見所
明石城の二の丸は本丸の東側に位置している曲輪です。 つづきを読む

本丸と本丸御殿

  • 見所
明石城の本丸には4つの三重櫓のほか、豪華な本丸御殿が建てられていました。 つづきを読む

天守台

  • 見所
明石城には一度も天守は築かれませんでしたが、築城時から天守台はありました。 つづきを読む

太鼓門跡

  • 見所
太鼓門は明石城主要部の玄関口で、現在の明石公園の入口になっています。 つづきを読む

旧徳島城表御殿庭園

  • 見所
旧徳島城表御殿庭園は上田宗箇が作庭したと伝わる名園です。 つづきを読む

桜馬場

  • 見所
桜馬場跡は平時に軍馬を検分したり、調教をおこなった場所といわれています。 つづきを読む

九尺石

  • 見所
九尺石は当時の大手門の可能性がある、内枡形虎口にあった巨石のことです。 つづきを読む

土塁と空堀

  • 見所
荻町城には本丸の背後にあった土塁と空掘が現存しています。 つづきを読む

城山天守閣展望台(荻町城跡展望台)

  • 見所
荻町城跡は現在、白川郷の合掌造りの町並みを見渡せる展望台になっています。 つづきを読む

春日門跡

  • 見所
宇陀松山城の大手にあたる春日門跡には櫓台が残っています。 つづきを読む

肥後堀

  • 見所
肥後堀は唐津市役所前にある堀で、復元整備されたものです。 つづきを読む

名古屋城の天守礎石

  • 見所
名古屋城には1945年(昭和20年)に焼失した旧天守の礎石が保存展示されています。 つづきを読む

三の丸南隅櫓

  • 見所
三の丸南隅櫓は現存櫓のひとつで、国指定重要文化財に登録されています。 つづきを読む

眞田杉(真田杉)

  • 見所
眞田神社の参道脇に「眞田杉」と呼ばれる杉の木の切り株があります。 つづきを読む

本丸西櫓

  • 見所
西櫓は尼ヶ淵の河岸段丘上に築かれた本丸隅櫓で、上田城唯一の現存遺構です。 つづきを読む

真田石

  • 見所
本丸東虎口の復元櫓門横の石垣に真田石と呼ばれる巨石があります。 つづきを読む

上田藩主居館表門(藩主居館跡)

  • 見所
現在の上田高校の敷地は上田藩主の居館があった場所で、表門が残っています。 つづきを読む

戌亥櫓台

  • 見所
戌亥櫓は北不明門に隣接していた櫓で、現在は櫓台の石垣が修復整備されています。 つづきを読む

玄宮園

  • 見所
玄宮園は彦根城下にある大名庭園です。 つづきを読む

山の岩盤に築いた石垣

  • 見所
調査により山頂曲輪の一段下にも石垣があったことが確認されています。 つづきを読む

本丸御殿

  • 見所
2009年から復元工事がはじまった本丸御殿は2018年に全エリアが完成しました。 つづきを読む

広島城天守(現在の広島城)

  • 見所
現在の広島城天守は1958年(昭和33年)に外観復元されたものです。 つづきを読む

竹田城の雲海を見るポイント

  • 見所
竹田城の雲海を見るためには、秋から冬にかけての早朝がオススメです。 つづきを読む

東不明門(明ノ門)

  • 見所
別名「明ノ門」と呼ばれる東不明門は三の丸東側にあった枡形門です。 つづきを読む

城門の扉

  • 見所
七尾城史資料館に七尾城大手門の扉が展示されています。 つづきを読む

温井屋敷

  • 見所
温井屋敷は畠山氏の重臣である温井氏の屋敷跡とされています。 つづきを読む

安寧寺跡(畠山廟)

  • 見所
安寧寺跡は三の丸の下にある削平地で、江戸時代には寺があったとされます。 つづきを読む

二の丸

  • 見所
二の丸は本丸を中心とした主郭部の最北端に位置する曲輪です。 つづきを読む

三の丸

  • 見所
三の丸は七尾城の曲輪の中では最大規模を誇ります。 つづきを読む

遊佐屋敷

  • 見所
本丸のすぐ下の曲輪が畠山氏の重臣、遊佐氏の屋敷跡と伝えられています。 つづきを読む

長屋敷(大堀切)

  • 見所
本丸と長屋敷を遮断するためにつくられた大規模な堀切が確認できます。 つづきを読む

二の丸跡

  • 見所
掛川古城の二の丸跡は児童公園になっています。 つづきを読む

本丸跡土塁と大堀切

  • 見所
掛川古城本丸跡の東側には土塁と見事な大堀切が残っています。 つづきを読む

時鐘

  • 見所
忍城の数少ない遺構である時鐘は江戸時代に松平忠雅によって鋳造されたものです。 つづきを読む

御三階櫓(行田市郷土博物館)

  • 見所
現在忍城の本丸跡には御三階櫓(模擬櫓)が再建されています。 つづきを読む

小城藩邸正門前の石橋

  • 見所
小城陣屋唯一の遺構がこの小城藩邸正門前の石橋です。 つづきを読む

二の丸北虎口

  • 見所
上田城跡公園の北側、陸上競技場のあるあたりには二の丸北虎口がありました。 つづきを読む

本丸東虎口前の空堀にある排水口

  • 見所
本丸東虎口前の空堀にある排水口は真田時代の上田城の遺構の可能性があります。 つづきを読む

尼ヶ淵(あまがふち)

  • 見所
上田城の南側は築城当時、千曲川の分流である尼ヶ淵に面していました。 つづきを読む

上り立ち門

  • 見所
上り立ち門は現存する薬医門としては全国でも最大クラスの規模の門です。 つづきを読む

森忠政の銅像

  • 見所
津山城入口付近に初代藩主・森忠政の銅像が設置されています。 つづきを読む

忘れ去られた石(築城時に切り出された石)

  • 見所
津山城の入口付近には「忘れ去られた石」と名付けられた石が展示されています。 つづきを読む

備中櫓

  • 見所
備中櫓は津山城本丸にある櫓で、2005年3月に復元されました。 つづきを読む

石垣

  • 見所
郡上八幡城に現存している石垣は岐阜県の史跡に指定されています。 つづきを読む

郡上八幡城の天守

  • 見所
模擬天守ではありますが、郡上八幡城は日本最古の木造再建天守です。 つづきを読む

本丸跡

  • 見所
徳島城の本丸は標高61mの城山山頂にありました。 つづきを読む

富士見門

  • 見所
富士見門は田丸城にあった8つの城門のうちのひとつです。 つづきを読む

三の丸奥書院

  • 見所
三の丸奥書院は富士見門とともに貴重な田丸城の建築遺構です。 つづきを読む

清水寺二天門

  • 見所
山麓にある清水寺の山門「二天門」は岐阜県の重要文化財に指定されています。 つづきを読む

松坂城跡の石垣

  • 見所
松坂城は穴太衆らによって築かれた総石垣づくりのお城です。 つづきを読む

御城番屋敷

  • 見所
江戸末期の武家屋敷「御城番屋敷」は国の重要文化財に指定されています。 つづきを読む

宗治蓮

  • 見所
高松城址公園の中央の堀では、毎年7月中旬になると「宗治蓮」が咲き乱れます。 つづきを読む

山内一豊像

  • 見所
県立図書館前に土佐藩の初代藩主・山内一豊の銅像が建てられています。 つづきを読む

石樋

  • 見所
高知城の特長のひとつに、石垣に設けられた多数の石樋があります。 つづきを読む

箱井戸と睡蓮

  • 見所
山中城跡には「田尻の池」と「箱井戸」のふたつの池がありました。 つづきを読む

畝堀と障子堀

  • 見所
山中城跡の見どころはなんといっても畝堀や障子堀といった堀です。 つづきを読む

本丸跡

  • 見所
長篠城の本丸は寒狭川寄りの断崖近くに置かれています。 つづきを読む

本丸跡

  • 見所
岩村城の本丸は諸藩の居城の中でもっとも高い海抜717mに位置しています。 つづきを読む

井戸(霧ヶ井)

  • 見所
別名・霧ヶ城の名前の由来となった井戸がいまも残っています。 つづきを読む

大矢倉跡

  • 見所
2重3階の大矢倉は苗木城で最大の建物で、内部は倉庫として使われていたようです。 つづきを読む

六段壁(本丸虎口の石垣)

  • 見所
岩村城の本丸虎口の大規模な石垣は「六段壁」と呼ばれています。 つづきを読む

馬洗岩

  • 見所
苗木城の天守台南下には「馬洗岩」と呼ばれる大きな岩があります。 つづきを読む

七曲がり

  • 見所
月山富田城の本丸へ向かうための登城道に七曲がりという急坂があります。 つづきを読む

山中御殿(山中御殿平)

  • 見所
山中御殿は月山富田城の中腹にあった御殿で、跡地から石垣などが発見されています。 つづきを読む

千畳平

  • 見所
千畳平は有事の際に城兵集合の場として使われた曲輪跡です。 つづきを読む

真田氏館跡・御屋敷公園

  • 見所
真田氏館跡は真田氏が上田城を築城する以前の居館跡といわれています。 つづきを読む

足柄城から見る富士山

  • 見所
足柄城は富士山の写真を撮る方にとっても有名なスポットです。 つづきを読む

山頂曲輪周辺の石垣

  • 見所
小牧山山頂の周囲には石垣の一部だった巨石が露出しています。 つづきを読む

虎口

  • 見所
小牧山の中腹に、堀と土塁で堅固に防御された虎口の遺構があります。 つづきを読む

土塁断面展示施設

  • 見所
小牧山城の土塁の断面を見ることができるようになっています。 つづきを読む

織田信秀と土田御前に抱かれた幼少期の信長像

  • 見所
勝幡駅の駅前に「織田信秀と土田御前に抱かれた幼少期の信長」像があります。 つづきを読む

勝幡城の復元模型

  • 見所
名鉄津島線・勝幡駅北口の駅前に勝幡城の復元模型が展示されています。 つづきを読む

撫川陣屋総門

  • 見所
撫川城址公園の入口にある門は、現存する撫川陣屋の総門です。 つづきを読む

南門跡

  • 見所
南門も西門同様、間口3間(12.3m)もある大きな城門です。 つづきを読む

西門

  • 見所
鬼ノ城の西門は間口が3間(12.3m)もある巨大な城門です。 つづきを読む

七曲門跡

  • 見所
犬山城天守の東側に位置するところに、七曲門跡があります。 つづきを読む

釜蓋城趾展望台

  • 見所
1987年(昭和62年)に建てられた展望台です。櫓を模した城郭風建築物です。 つづきを読む

眼鏡橋

  • 見所
眼鏡橋は諫早公園内にある石橋で、国の重要文化財に指定されています。 つづきを読む

いもり堀と鯉喉櫓台

  • 見所
いもり堀は金沢城の南西側を囲んでいた外堀で、現在復元整備されています。 つづきを読む

本丸南面の高石垣

  • 見所
金沢城の本丸南面にある石垣は、城内でも随一の高さを誇る高石垣でした。 つづきを読む

百間堀

  • 見所
百間堀は金沢城でもっとも幅が広く規模の大きい外堀でした。 つづきを読む

千歳御門

  • 見所
千歳御門は千歳御殿の正門で、富山城の唯一の創建当初の建造物です。 つづきを読む

富山市郷土博物館

  • 見所
富山市郷土博物館は1954年に建てられた3重4階の模擬天守です。 つづきを読む

三重櫓(御三重櫓)

  • 見所
現在ある三重櫓は1993年に上越市発足20周年記念事業として再建されたものです。 つづきを読む

内堀と本丸土塁

  • 見所
高田城の内堀は幅がおよそ58〜36メートル、深さは5メートル程度です。 つづきを読む

宇都宮城ものしり館

  • 見所
宇都宮城ものしり館は復元された本丸土塁の内部にある展示室です。 つづきを読む

石積櫓

  • 見所
長岩城の遺構で有名なのはこの銃眼がある石積櫓です。     つづきを読む

桝形

  • 見所
龍岡城跡から北西に5分ほどの距離の場所に、桝形が残っています。 つづきを読む

石垣と堀

  • 見所
龍岡城の堀は五稜郭特有の形がいまでもよくわかる状態で残っています。 つづきを読む

復元石垣

  • 見所
懐古園の入口から入ってすぐのところに復元石垣があります。 つづきを読む

天守台

  • 見所
小諸城の天守は落雷によって焼失しましたが、天守台は当時のまま残っています。 つづきを読む

鏡石

  • 見所
鏡石は小諸城の縄張りをしたという伝説がある山本勘助が愛用したといわれる石です。 つづきを読む

黒門跡、黒門橋

  • 見所
小諸城の本丸と南丸の間には深い堀と黒門橋、そして黒門がありました。 つづきを読む

鶯石

  • 見所
二の丸跡から黒門橋に向かう途中にある巨石は「鶯石」と呼ばれています。 つづきを読む

二の丸跡

  • 見所
小諸城の二の丸は「関ケ原の合戦」に向かう徳川秀忠が逗留した場所です。 つづきを読む

三の門

  • 見所
国の重要文化財に指定されている小諸城三の門は江戸時代から残る遺構のひとつです。 つづきを読む

太閤ヶ原

  • 見所
太閤ヶ原は「鳥取の飢え殺し」を行った際に秀吉が本陣を敷いた場所です。 つづきを読む

なべくら展望台

  • 見所
鍋倉公園には天守を模した「なべくら展望台」が建てられています。 つづきを読む

大井戸

  • 見所
大多喜高校の校内にあるこの大井戸は千葉県指定史跡に指定されています。 つづきを読む

玉泉院丸庭園

  • 見所
玉泉院丸庭園は兼六園とは別に金沢城内にあった池泉回遊式の大名庭園です。 つづきを読む

毛利輝元の銅像

  • 見所
萩城二の丸南門跡付近に建てられている毛利輝元の銅像です。 つづきを読む

萩城要害跡(詰丸)

  • 見所
萩城は背後にある指月山山頂にいわゆる「詰めの城」を備えていました。 つづきを読む

天守台石垣

  • 見所
萩城の天守は破却されたため、現在は天守台の石垣だけが残されています。 つづきを読む

楫取素彦寄進の井戸

  • 見所
万歳橋の右手には楫取素彦(小田村伊之助)が寄進した井戸が残されています。 つづきを読む

万歳橋

  • 見所
万歳橋は、萩城本丸跡にある指月公園内の志都岐山神社前の庭池に架かる石橋です。 つづきを読む

志都岐山神社

  • 見所
志都岐山神社は毛利元就、隆元、輝元、敬親、元徳を祭神とする神社です。 つづきを読む

伏姫と八房の像

  • 見所
展望台のところに「伏姫と八房の像」が建てられています。 つづきを読む

亀石

  • 見所
高島城の本丸には「亀石」と名付けられた石が安置されています。 つづきを読む

高島城の天守

  • 見所
かつて日根野高吉が築城した高島城の天守は、1970年に復元されました。 つづきを読む

大石邸長屋門、近藤源八宅跡長屋門

  • 見所
大石邸長屋門と近藤源八宅跡長屋門は江戸時代から残る数少ない遺構です。 つづきを読む

天守台

  • 見所
赤穂城には立派な天守台がありますが、一度も天守は築かれませんでした。 つづきを読む

本丸庭園、本丸大池泉

  • 見所
赤穂城の本丸庭園は2002年に二之丸庭園とともに国の名勝に指定されました。 つづきを読む

本丸跡、本丸御殿跡

  • 見所
赤穂城の本丸跡は本丸御殿(表御殿・奥御殿)の間取りが地面に示されています。 つづきを読む

本丸門

  • 見所
赤穂城の本丸門は櫓門と高麗門による枡形門で、1996年に復元されました。 つづきを読む

大手門

  • 見所
赤穂城の大手門にある高麗門は1955年(昭和30年)に再建されました。 つづきを読む

清洲城の天守

  • 見所
かつて織田信長が居城としていた清州城には現在、模擬天守が建てられています。 つづきを読む

石垣の刻印

  • 見所
名古屋城は天下普請で築かれた城だけあって、石垣には多くの刻印が見られます。 つづきを読む

二の丸庭園

  • 見所
国の名勝に選ばれている二の丸庭園は枯山水回遊式庭園です。 つづきを読む

二の丸東庭園

  • 見所
名古屋城の東門から入ってすぐ右手にある庭園が二の丸東庭園です。 つづきを読む

清正石

  • 見所
清正石は加藤清正が積み上げたと伝えられる名古屋城の石垣の中で最大の石材です。 つづきを読む

展望台(模擬天守)

  • 見所
尾張大野城の跡地にある城山公園には天守を模した展望台と城門が建てられています。 つづきを読む

豊臣秀次居館跡

  • 見所
八幡山の南山麓には豊臣秀次のために築かれた居館跡があります。 つづきを読む

箱館奉行所

  • 見所
箱館奉行所は2010年に復元工事が完成し、一般公開されています。 つづきを読む

八幡公園の豊臣秀次像

  • 見所
八幡山の山麓にある八幡公園には豊臣秀次の銅像が建てられています。 つづきを読む

伝徳川家康邸跡(摠見寺仮本堂)

  • 見所
かつて徳川家康の屋敷があったと伝わる場所には現在、摠見寺の仮本堂があります。 つづきを読む

伝二の丸跡

  • 見所
天主台の西下にあたる位置に二の丸跡と伝わる場所があります。 つづきを読む

伝森成利邸跡、伝織田信澄邸跡

  • 見所
黒金門跡のすぐ手前に森蘭丸や織田信澄の屋敷があったと伝わる場所があります。 つづきを読む

黒金門跡

  • 見所
黒金門跡周辺は安土城の中でももっとも大きな石が使われている場所です。 つづきを読む

伝織田信忠邸跡

  • 見所
安土山の中腹に織田信忠の屋敷があったと伝わる場所があります。 つづきを読む

大手道

  • 見所
安土山の麓から山頂の天主に向かってまっすぐに伸びる道が大手道です。 つづきを読む

伝前田利家邸跡

  • 見所
大手道下部の右手には前田利家の屋敷跡と伝えられる場所があります。 つづきを読む

伝羽柴秀吉邸跡

  • 見所
大手道下部の左手には羽柴秀吉の屋敷跡と伝えられる場所があります。 つづきを読む

天主台跡(安土城の天主)

  • 見所
安土城の天主台跡には現在、当時使用されたとされる礎石が並んでいます。 つづきを読む

武井夕庵邸跡

  • 見所
山麓から大手道をまっすぐ登りきったあたりに武井夕庵の屋敷跡があります。 つづきを読む

織田信長公本廟

  • 見所
天主跡西下の二の丸跡と伝えられる場所に織田信長の本廟があります。 つづきを読む

大手道にある石仏

  • 見所
安土城大手道の石階段には、多くの石仏が使われています。 つづきを読む

南郷公園

  • 見所
南郷公園には亀岡城天守で使われた鯱瓦の復元ブロンズ像や石碑があります。 つづきを読む

石垣の刻印

  • 見所
内堀跡に復元された石垣に刻印を見つけることができます。 つづきを読む

天守台石垣

  • 見所
亀岡城の天守台石垣は復元されたものですが、一部は当時のまま残っています。 つづきを読む

巽櫓

  • 見所
巽櫓は園部高校の校内に、櫓門に隣接して建てられています。 つづきを読む

櫓門と番所

  • 見所
園部城の櫓門は現在、京都府立園部高等学校の校門として使われています。 つづきを読む

九品仏浄真寺(土塁)

  • 見所
九品仏浄真寺の境内には奥沢城の方形に廻る土塁が残っています。 つづきを読む

犬走り

  • 見所
岸和田城の遺構のなかでも内堀石垣下部の「犬走り」がとくに有名です。 つづきを読む

八陣の庭

  • 見所
「八陣の庭」は重森三玲の設計による砂庭式枯山水庭園です。 つづきを読む

乙女ケ池

  • 見所
大溝城では琵琶湖の内湖である乙女ケ池を外堀として利用していました。 つづきを読む

天守台

  • 見所
野面積みで築かれた大溝城の天守台石垣は数少ない遺構です。 つづきを読む

黒門(本門)

  • 見所
秋月城址にある垂裕神社には、秋月城の旧大手門である黒門が移築されています。 つづきを読む

長屋門(裏門)

  • 見所
垂裕神社にある長屋門は秋月城内で唯一、当時のままの位置に残る建物です。 つづきを読む

清洲城の石垣

  • 見所
清洲城の前にある大手橋をわたったところに、復元石垣が展示されています。 つづきを読む

三枚橋城の復元石垣

  • 見所
三枚橋城の石垣に使われたと思われる石が城址付近での建築工事で見つかっています。 つづきを読む

石の門(石の門砦)

  • 見所
石の門(石の門砦)は松倉城の大手門だったという伝承もあります。 つづきを読む

虎口

  • 見所
升方城の虎口は佐々成政または前田利家の時代に改修されたと考えられています。 つづきを読む

畝状竪堀

  • 見所
二ノ丸の南下の郭には畝形堅堀の遺構が22本も連続して掘られています。 つづきを読む

又兵衛清水

  • 見所
又兵衛清水は築城の際に発見された「とやま名水百選」に選ばれている湧き水です。 つづきを読む

空堀

  • 見所
越中三大山城と称された増山城には空堀が計画的に配置されています。 つづきを読む

城山神社

  • 見所
滝の城の本丸跡(本郭跡)には現在、城山神社が祀られています。 つづきを読む

仙台藩白老元陣屋資料館

  • 見所
仙台藩白老元陣屋資料館は、江戸時代末期の蝦夷地の歴史を伝える資料館です。 つづきを読む

御主殿の滝

  • 見所
御主殿の滝は落城の際に北条方の婦女子や武将らが身を投じた滝といわれています。 つづきを読む

土塁と空堀

  • 見所
岩槻城址公園には岩槻城の土塁と空堀がいまも残っています。 つづきを読む

太鼓櫓

  • 見所
掛川城の太鼓櫓は、1955年に三の丸から現在の位置に移築されました。 つづきを読む

大手御門

  • 見所
駿府城の正面出入り口である大手御門の虎口は現在もはっきりと残っています。 つづきを読む

坤櫓

  • 見所
安政地震で崩壊した駿府城の坤櫓は、2014年に復元工事が完了しました。 つづきを読む

石垣の刻印

  • 見所
駿府城の石垣で使われている石材には300を超える刻印が見つかっています。 つづきを読む

家康手植のミカン

  • 見所
駿府城公園には江戸時代に徳川家康が植樹したと伝わるみかんの木があります。 つづきを読む

徳川家康公銅像

  • 見所
駿府城公園内の本丸跡には徳川家康の銅像が建てられています。 つづきを読む

本丸堀

  • 見所
本丸堀は明治時代に埋め立てられましたが、発掘調査で再び姿をあらわしています。 つづきを読む

巽櫓

  • 見所
巽櫓は、駿府城二の丸の東南に設けられた2重3階の隅櫓です。 つづきを読む

東御門

  • 見所
東御門は二の丸の東南に位置する枡形門で、駿府城の主要な出入口でした。 つづきを読む

北門跡

  • 見所
北門は「山崎の戦い」で敗れた明智光秀が夜陰に乗じて脱出した門といわれています。 つづきを読む

細川忠興・玉(ガラシャ)像

  • 見所
勝竜寺城公園内には細川忠興とガラシャ夫妻の銅像が建てられています。 つづきを読む

有岡城跡史跡公園

  • 見所
伊丹城(有岡城)の本丸跡地は現在、有岡城跡史跡公園として整備されています。 つづきを読む

茨木小学校にある復元櫓門

  • 見所
茨木城の本丸跡にある茨木小学校には櫓門が復元されています。 つづきを読む

高槻城の石垣石

  • 見所
高槻城址公園の入口手前に高槻城の石垣石が置いてあります。 つづきを読む

高槻城跡公園(模擬石垣と高山右近の銅像)

  • 見所
1956年に開設された高槻城跡公園には模擬石垣と高山右近の銅像があります。 つづきを読む

笠間城の天守(佐志能神社)

  • 見所
笠間城の天守台には現在、天守の廃材を利用したとされる佐志能神社があります。 つづきを読む

岐阜城の井戸(金銘水)

  • 見所
天守の手前を少し降りたところに、「金銘水」と呼ばれる軍用井戸があります。 つづきを読む

岐阜城天守(現在の岐阜城)

  • 見所
現在の岐阜城の天守は1956年(昭和31年)に建てられた復興天守です。 つづきを読む

岐阜城資料館

  • 見所
復興天守のすぐそばに隅櫓を模した岐阜城資料館があります。 つづきを読む

本丸跡と天守台

  • 見所
現在、山崎城の本丸跡には石垣や井戸などがわずかに確認できるだけです。 つづきを読む

鐘櫓

  • 見所
1979年に外観復原された鐘櫓は市の重要文化財に指定されています。 つづきを読む

福山城の天守

  • 見所
現在の福山城の天守は1966年11月に市制50周年記念事業として再建されました。 つづきを読む

清流園・香雲亭

  • 見所
清流園は江戸初期の豪商、角倉了以の屋敷と庭石を移築してつくられた庭園です。 つづきを読む

番所

  • 見所
「二条在番」の詰め所である番所は東大手門を入ってすぐのところにあります。 つづきを読む

旧二条城の石垣

  • 見所
二条城の本丸の西側に旧二条城の石垣が移築復元されています。 つづきを読む

二の丸庭園

  • 見所
二の丸庭園は小堀遠州の代表作として挙げられる池泉回遊式庭園です。 つづきを読む

唐門

  • 見所
二の丸御殿への入口となっている唐門は後水尾天皇の行幸にあわせて造営されました。 つづきを読む

東大手門

  • 見所
東大手門は二条城の正門で、江戸時代前期の1662年に造られました。 つづきを読む

東南隅櫓

  • 見所
東南隅櫓は寛永期に建てられた隅櫓で、国の重要文化財に指定されています。 つづきを読む

南門

  • 見所
二条城の南門は大正時代に新造された城門で、本来の城門ではありません。 つづきを読む

大広間跡

  • 見所
別名「千畳敷」とも呼ばれる大広間跡は、小谷城内でもっとも広い曲輪跡です。 つづきを読む

本丸跡

  • 見所
本丸には天守があったと推定されていますが、現在は石垣だけが残っています。 つづきを読む

本多平八郎忠勝公銅像

  • 見所
二の丸跡の三河武士のやかた家康館の近くに本多忠勝の銅像があります。 つづきを読む

岡崎城の天守(岡崎城天守閣)

  • 見所
現在の復興天守は1959年に再建されたもので、内部は歴史資料館となっています。 つづきを読む

松平元康の像

  • 見所
徳川家康公銅像のすぐとなりに、松平元康の像があります。 つづきを読む

東隅櫓

  • 見所
岡崎城の東曲輪にあった東隅櫓は2010年に木造で再建されました。 つづきを読む

北御多門跡、川手櫓跡、腰曲輪跡

  • 見所
腰曲輪は吉田城の本丸背後を守るために築かれた曲輪で、当時は川手櫓がありました。 つづきを読む

吉田城の石垣刻印

  • 見所
吉田城の石垣には各大名家の家紋などが刻まれた石垣刻印が見られます。 つづきを読む

鉄櫓(隅櫓)

  • 見所
吉田城の鉄櫓は1954年(昭和29年)に模擬再建されました。 つづきを読む

ビスタライン

  • 見所
岡崎城と大樹寺を結ぶ約3kmの直線は「ビスタライン」と呼ばれています。 つづきを読む

浜松城の天守

  • 見所
現在の浜松城の天守は1958年に鉄筋コンクリート造で再建されたものです。 つづきを読む

若き日の徳川家康公の銅像

  • 見所
浜松城の本丸には「若き日の徳川家康公の銅像」という像があります。 つづきを読む

月見櫓・水手御門・渡櫓

  • 見所
月見櫓は北之丸の最北端に位置し、瀬戸内海を監視するためにつくられた隅櫓です。 つづきを読む

大坂城の天守(大阪城天守閣)

  • 見所
現在ある大坂城の天守(大阪城天守閣)は1931年に竣工した復興天守です。 つづきを読む

金蔵

  • 見所
大坂城の天守のすぐ近くには江戸時代に幕府の金庫として使われた金蔵があります。 つづきを読む

一番櫓

  • 見所
二の丸南側に建てられていた7基の隅櫓のうち、一番櫓は現存しています。 つづきを読む

六番櫓

  • 見所
1628年に創建された二の丸の六番櫓は重要文化財に指定されています。 つづきを読む

蛸石

  • 見所
桜門をくぐって正面にある巨石が、大坂城で最大の巨石として有名な「蛸石」です。 つづきを読む

桜門

  • 見所
桜門は二の丸から本丸に入るための門で、重要文化財に指定されています。 つづきを読む

水口城資料館

  • 見所
水口城資料館は水口城の出丸部分に建てられた資料館で、1991年に開館しました。 つづきを読む

高石垣

  • 見所
伊賀上野城の石垣は、大坂城に次ぐ高さを誇る、高石垣で有名です。 つづきを読む

伊賀上野城の天守

  • 見所
現在の伊賀上野城の天守は藤堂高虎が建てたものではなく、昭和の模擬天守です。 つづきを読む

天守台

  • 見所
篠山城には築城当初から天守はありませんが、天守台は現在も残っています。 つづきを読む

大書院

  • 見所
江戸時代、篠山藩の公式行事などに使用された大書院は2000年に復元されました。 つづきを読む

石垣の刻印

  • 見所
篠山城の大手門周辺の石垣にはさまざまな刻印が見つかります。 つづきを読む

感応殿

  • 見所
出石城の本丸跡には仙石秀久を祀った感応殿と呼ばれる社殿が建てられています。 つづきを読む

登城橋と登城門

  • 見所
出石城の入口にあたる登城橋と登城門は1994年に復元されました。 つづきを読む

大和郡山城の石垣

  • 見所
大和郡山城の見所のひとつは10mを越す本丸の高石垣です。 つづきを読む

膳所城の石垣

  • 見所
膳所城跡公園の琵琶湖岸には膳所城の石垣がわずかに残っています。 つづきを読む

さかさ地蔵(逆さ地蔵)

  • 見所
大和郡山城には「さかさ地蔵」と呼ばれる有名な転用石があります。 つづきを読む

追廻門

  • 見所
追廻門は1629年に創建された高麗門で、当時は朱が塗られた赤門でした。 つづきを読む

岡口門

  • 見所
岡口門は和歌山城の南東に位置する門で、重要文化財に指定されています。 つづきを読む

本丸御殿跡

  • 見所
「宮様御殿」とも呼ばれた本丸御殿跡からは和歌山城の大天守がよく見えます。 つづきを読む

乾櫓

  • 見所
乾櫓は和歌山城の天守曲輪を構成する櫓で、大天守の対角に位置しています。 つづきを読む

和歌山城の天守

  • 見所
現在の天守は戦災で焼失した江戸時代の天守を参考に1958年に再建されました。 つづきを読む

御橋廊下

  • 見所
2006年に復元された和歌山城の御橋廊下は全国にも珍しい勾配のある廊下橋です。 つづきを読む

石垣の刻印

  • 見所
和歌山城の石垣には2110個のさまざまなデザインの刻印が見つかっています。 つづきを読む

石垣の根石

  • 見所
復興天守入口近くに、かつての長浜城で使われていた石垣の根石が展示されています。 つづきを読む

岸和田城の天守

  • 見所
岸和田城の現在の3重5階の復興天守は1954年に建てられました。 つづきを読む

東門

  • 見所
現在の大垣城の正門として使われている東門はかつての柳口門を移築したものです。 つづきを読む

大垣城の天守(郷土博物館)

  • 見所
大垣城の天守は戦前は国宝にも指定されており、現在は外観復元されています。 つづきを読む

西門

  • 見所
大垣城の西門は1985年(昭和60年)に行われた修景整備の際に造られた模擬門です。 つづきを読む

墨俣一夜城歴史資料館(墨俣歴史資料館)

  • 見所
墨俣城があったとされる場所には現在、模擬天守が建てられています。 つづきを読む

藤吉郎の馬柵

  • 見所
墨俣城の裏手にまわる途中に「藤吉郎の馬柵」が再現されています。 つづきを読む

太閤出世橋と木下藤吉郎秀吉の像

  • 見所
墨俣城の前を流れる犀川にかかっている橋は「太閤出世橋」と呼ばれています。 つづきを読む

毘沙門堂

  • 見所
上杉謙信が戦の前にこもったとされる毘沙門堂は1931年に復元されました。 つづきを読む

巽櫓跡

  • 見所
巽櫓は久留米城内における最大規模の層塔型3重櫓で、天守の代用とされました。 つづきを読む

東御門跡と月見櫓跡

  • 見所
久留米城の東隅にはかつて東御門があり、その脇には月見櫓がありました。 つづきを読む

有馬記念館

  • 見所
有馬記念館には有馬家ゆかりの歴史資料や美術工芸品が展示されています。 つづきを読む

篠山神社(本丸跡)

  • 見所
久留米城址には現在、藩祖である有馬豊氏を祀った篠山神社が建立されています。 つづきを読む

須戸口門

  • 見所
須戸口門は熊本城の本丸の南側に設けられた最前線の門です。 つづきを読む

西大手門(西大手櫓門)

  • 見所
西大手門は熊本城に3ヶ所ある大手門のうち、もっとも格式の高い門でした。 つづきを読む

戌亥櫓

  • 見所
西出丸の北西隅、戌亥の方向に位置する木造2重3階の隅櫓が戌亥櫓です。 つづきを読む

櫨方門

  • 見所
櫨方門は熊本城南西にある門で、熊本市街地から熊本城に入る場合に便利な門です。 つづきを読む

備前堀

  • 見所
熊本城の堀は空堀ばかりですが、備前堀は熊本城で唯一の水堀です。 つづきを読む

百間石垣

  • 見所
百間石垣は熊本城北側の防御を固めるために飯田覚兵衛によって築かれた石垣です。 つづきを読む

監物櫓(新堀櫓、長岡図書預り櫓)

  • 見所
監物櫓は熊本城でもっとも北にある現存櫓で、正しくは長岡図書預り櫓といいます。 つづきを読む

天守台

  • 見所
現在残る天守台は「明暦の大火」後に加賀藩・前田綱紀によって再建されたものです。 つづきを読む

松の大廊下跡(松の廊下)

  • 見所
松の大廊下は「忠臣蔵」で有名な、浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかった場所です。 つづきを読む

富士見櫓

  • 見所
富士見櫓は明暦の大火で天守が焼失した後、江戸城の天守の代用とされた三重櫓です。 つづきを読む

大番所

  • 見所
大番所は大手中の門の内側に設けられた、中の門を警備するための詰所でした。 つづきを読む

中の門(中之門)

  • 見所
中の門の石垣は江戸城の中でも最大級となる約36トンの巨石で築かれています。 つづきを読む

百人番所

  • 見所
百人番所は江戸城最大の検問所で、百人組と呼ばれる精鋭集団が警護していました。 つづきを読む

同心番所

  • 見所
同心番所は警護の詰所で、江戸時代後期のものと思われる建物が復元されています。 つづきを読む

桜田門(外桜田門)

  • 見所
桜田門は大老・井伊直弼が暗殺された、いわゆる「桜田門外の変」で有名な門です。 つづきを読む

大手門(三の丸大手門)

  • 見所
大手門は江戸城の正門で、現在は皇居東御苑のメインゲートとなっています。 つづきを読む

西の丸大手門

  • 見所
かつての江戸城西の丸大手門は現在の皇居正門となっています。 つづきを読む

田安門

  • 見所
田安門は江戸城の総構えが完成した1636年(寛永13年)から残る唯一の遺構です。 つづきを読む

福岡城跡堀石垣

  • 見所
福岡地方裁判所付近に用意された見学施設で福岡城の外堀石垣を見ることができます。 つづきを読む

多聞櫓と南北隅櫓

  • 見所
南丸にある多聞櫓は福岡城で唯一現存する遺構で国の重要文化財に指定されています。 つづきを読む

天守台跡

  • 見所
福岡城の天守台跡には天守の礎石が残っていて、石垣の上は展望台になっています。 つづきを読む

鉄御門跡と埋門跡

  • 見所
本丸から天守曲輪へ向かうための最終防衛ラインとなっていた門が鉄御門です。 つづきを読む

祈念櫓

  • 見所
祈念櫓は鬼門封じの祈念をするために本丸の東北隅に建立されました。 つづきを読む

表御門櫓跡

  • 見所
表御門は二の丸から本丸に入るための門で、かつてはここに櫓門がありました。 つづきを読む

旧母里太兵衛邸長屋門

  • 見所
旧母里太兵衛邸の長屋門は黒田如水隠居地跡への入口の横に移築されています。 つづきを読む

黒田如水隠居地(三ノ丸御鷹屋敷)跡

  • 見所
福岡城三の丸には隠居した黒田官兵衛が住んでいたとされる屋敷跡があります。 つづきを読む

下之橋御門(大手門)

  • 見所
福岡城の門のうち、現在も本来の位置にあるのは下之橋御門だけです。 つづきを読む

潮見櫓

  • 見所
地下鉄大濠公園駅から福岡城跡に向かうと、最初に見えてくるのが潮見櫓です。 つづきを読む

光秀築城時の石垣と江戸時代の増築時の石垣

  • 見所
天守の石垣には光秀築城時の石垣と江戸時代の増築時の境界線を見ることができます。 つづきを読む

河北門

  • 見所
河北門は「三御門」のひとつで、金沢城の実質的な正門として使われていました。 つづきを読む

菱櫓と五十間長屋の軸組模型

  • 見所
五十間長屋の2階内部に、菱櫓と五十間長屋の軸組み模型があります。 つづきを読む

橋爪門と橋爪門続櫓

  • 見所
二の丸の正門である橋爪門と物見櫓として使われていた橋爪門続櫓の紹介です。 つづきを読む

五十間長屋

  • 見所
五十間長屋は菱櫓と橋詰門続櫓を結ぶ多門櫓で、武器庫として使用されていました。 つづきを読む

菱櫓

  • 見所
菱櫓は防衛の要である二の丸の北東隅に配置された3重3階の物見櫓です。 つづきを読む

東ノ丸北面石垣

  • 見所
東の丸にある石垣は佐久間盛政築城期のものを前田利家が改修したものです。 つづきを読む

三十間長屋

  • 見所
金沢城の三十間長屋は石川門と並んで重要文化財に指定されています。 つづきを読む

なまこ壁(海鼠壁)

  • 見所
金沢城にはたくさん「なまこ壁(海鼠壁)」を見ることができます。 つづきを読む

石川門と石川櫓

  • 見所
石川門は金沢城の搦手門にあたる門で、兼六園のすぐそばにある門です。 つづきを読む

復原町並

  • 見所
一乗谷朝倉氏遺跡にある「復原町並」は当時の町並みを立体的に復原しています。 つづきを読む

天守台(福井城天守)

  • 見所
福井城の天守台は切込接ぎの石垣で築かれた美しい天守台です。 つづきを読む

福の井

  • 見所
福井城には「福井」の地名の由来となった「福の井」という井戸が残っています。 つづきを読む

結城秀康像

  • 見所
現在、福井城址の本丸跡には結城秀康の石像が建てられています。 つづきを読む

二の丸隅櫓

  • 見所
新発田城の二の丸隅櫓は表門とともに廃城令での破却をまぬがれた貴重な遺構です。 つづきを読む

辰巳櫓

  • 見所
新発田城の辰巳櫓は三階櫓とともに復元され、一般公開されています。 つづきを読む

お市の方像

  • 見所
柴田神社の柴田勝家像のちょうど裏側あたりにお市の方の銅像もあります。 つづきを読む

柴田勝家像

  • 見所
北の庄城址・柴田公園には柴田勝家の銅像が建てられています。 つづきを読む

復原武家屋敷

  • 見所
復原町並の中に当時の様子を再現した武家屋敷が復原されています。 つづきを読む

上城戸と下城戸

  • 見所
一乗谷の南北2箇所には城下町の防衛のために「城戸」と呼ばれる城門がありました。 つづきを読む

唐門

  • 見所
朝倉館跡入口にある唐門は、義景の菩提を弔うために移築された松雲院の山門です。 つづきを読む

朝倉義景館

  • 見所
朝倉氏最後の当主であった義景の時代の館跡が公開されています。 つづきを読む

一乗谷朝倉氏庭園

  • 見所
朝倉義景館跡の背後には諏訪館などの国の特別名勝に指定された庭園があります。 つづきを読む

福知山城天守(現在の福知山城)

  • 見所
現在の福知山城の天守は1985年に絵図に基づき外観復元されたものです。 つづきを読む

豊磐井

  • 見所
福知山城天守の入口前に「豊磐井」と呼ばれている大型の井戸が残っています。 つづきを読む

福知山城天守閣復元鯱瓦

  • 見所
福知山城には現在の復元天守の鯱瓦を原寸大で復元した鯱瓦が展示されています。 つづきを読む

銅門番所

  • 見所
銅門番所は移築されてはいますが、福知山城で唯一、現存している建築物です。 つづきを読む

巽櫓(桜田二重櫓)

  • 見所
巽櫓は本丸から見て東南(辰巳)の濠の角にあることから名づけられました。 つづきを読む

坂下門

  • 見所
坂下門の西の丸の坂下にあった門で、宮内庁通用門として利用されています。 つづきを読む

伏見櫓

  • 見所
伏見櫓は関東大震災の際に倒壊したため、解体して復元されました。 つづきを読む

備中松山城の雲海を見るポイント

  • 見所
備中松山城も竹田城と同じように雲海に浮かぶ姿を見ることができます。 つづきを読む

本丸東御門

  • 見所
本丸東御門は1994年(平成6年)より行われた本丸の復元整備の際に復元されました。 つづきを読む

備中松山城天守

  • 見所
備中松山城の天守は江戸時代から残る現存天守のひとつです。 つづきを読む

二重櫓

  • 見所
天守の裏側に国の重要文化財に指定されている二重櫓があります。 つづきを読む

三の丸

  • 見所
三の平櫓東土塀に沿って、のぼったところにあるのが「三の丸」です。 つづきを読む

三の平櫓東土塀

  • 見所
備中松山城の「三の平櫓東土塀」は国の重要文化財に指定されています。 つづきを読む

本丸跡

  • 見所
宮尾城の本丸は、要害山と呼ばれる標高30mほどの丘に築かれました。 つづきを読む

平櫓と多聞櫓と太鼓櫓

  • 見所
二の丸の多聞櫓と太鼓櫓も、表御門や平櫓とともに再建されました。 つづきを読む

表御門

  • 見所
現在の広島城の入口、二の丸の正面玄関にあるのが表御門です。 つづきを読む

不明門

  • 見所
岡山城の不明門は1966年(昭和41年)に天守とともに再建されました。 つづきを読む

天守閣の礎石

  • 見所
岡山城の本丸跡には築城時の天守の礎石が展示されています。 つづきを読む

月見櫓

  • 見所
月見櫓は岡山城本丸跡に現存する唯一の櫓で、国の重要文化財に指定されています。 つづきを読む

宇喜多氏築城時の石垣

  • 見所
もともと岡山城は中国地方では珍しい高石垣で囲まれた城でした。 つづきを読む

岡山城天守(現在の岡山城)

  • 見所
現在の岡山城は外観復元天守で、内部は博物館になっています。 つづきを読む

北の丸址から見る安土城

  • 見所
八幡山城の北の丸跡からは安土城があった安土山を見ることができます。 つづきを読む

彦根城の天守

  • 見所
彦根城の天守は現存天守のひとつであり、国宝にも指定されています。 つづきを読む

天秤櫓

  • 見所
彦根城の見所のひとつが、長浜城の大手門を移築したものと伝えられる天秤櫓です。 つづきを読む

佐和口多聞櫓

  • 見所
彦根城の佐和口を守る佐和口多聞櫓は国の重要文化財に指定されています。 つづきを読む

馬屋

  • 見所
彦根城には全国でも珍しい大規模な馬屋が残り、重要文化財に指定されています。 つづきを読む

柏原藩主織田家旧邸長屋門

  • 見所
柏原藩陣屋跡の前にある長屋門は御殿が創建時から残っている唯一の建築物です。 つづきを読む

西の丸長局と千姫化粧櫓

  • 見所
重要文化財にもなっている姫路城の「千姫化粧櫓」を紹介します。 つづきを読む

いろは松

  • 見所
彦根城天守の佐和口多聞櫓へと向かう通りの松並木は「いろは松」と呼ばれています。 つづきを読む

御着城の模擬天守

  • 見所
御着城址には天守を模した姫路市東出張所が建てられています。 つづきを読む

黒田家廟所

  • 見所
御着城跡公園のすぐそばに黒田官兵衛の祖父である重隆と生母の廟所があります。 つづきを読む

柏原藩陣屋跡

  • 見所
「柏原藩陣屋跡」は国の史跡にも指定されている全国でも珍しい陣屋遺構です。 つづきを読む

五芒星の刻印

  • 見所
姫路城の化粧櫓の石垣には珍しい五芒星の形をした刻印があります。 つづきを読む

花隈城の天守跡

  • 見所
花隈城の本丸や天守は現在の花隈公園付近の福徳寺あたりにあったとされています。 つづきを読む

東隅櫓と西隅櫓

  • 見所
出石城の東隅櫓と西隅櫓は1968年(昭和43年)に復元されました。 つづきを読む

辰鼓楼

  • 見所
辰鼓楼は現存する明治時代初期の時計台であり、出石の城下町を代表する建造物です。 つづきを読む

菱の門

  • 見所
「菱の門」は姫路城でもっとも大きく立派な構えの門です。 つづきを読む

十字紋の鬼瓦

  • 見所
姫路城の「にの門櫓」には珍しい十字紋が彫られた鬼瓦があります。 つづきを読む

水の門

  • 見所
姫路城の「水の門」は視覚効果をよく考えてつくられた防御施設です。 つづきを読む

天守の庭(礎石)

  • 見所
姫路城の天守を築条当時から支えていた礎石を展示した「天守の庭」の紹介です。 つづきを読む

三国堀(三国濠)

  • 見所
三国堀は「菱の門」から入ってすぐのところにある四角い堀です。 つづきを読む

るの門

  • 見所
姫路城の「るの門」は珍しい埋み門と呼ばれる形式の門です。 つづきを読む

旧西大柱

  • 見所
昭和大修理の際に取り替えられた昔の心柱(旧西大柱)が展示されています。 つづきを読む

佐賀城本丸御殿(佐賀城本丸歴史館)

  • 見所
佐賀城本丸歴史館は佐賀城の本丸御殿の一部を再現してつくられた施設です。 つづきを読む

佐賀城天守台

  • 見所
佐賀城の天守は焼失したため現存していませんが、天守台はいまも残っています。 つづきを読む

鯱の門

  • 見所
佐賀城の「鯱の門」は国の重要文化財にも指定されています。 つづきを読む

頬当御門と開門の儀

  • 見所
熊本城の正面玄関にあたる頬当御門では毎朝8:30から開門の儀が行われています。 つづきを読む

長塀

  • 見所
熊本城には現存する城郭の塀の中では最長を誇る、約242mの長塀があります。 つづきを読む

飯田丸五階櫓

  • 見所
飯田覚兵衛が預かっていた飯田丸五階櫓は2005年に木造復元されました。 つづきを読む

源之進櫓、四間櫓、十四間櫓など

  • 見所
東竹の丸にある、源之進櫓、四間櫓、十四間櫓など現存する平櫓群の紹介です。 つづきを読む

不開門

  • 見所
熊本城の北東に位置している「不開門」は国の重要文化財に指定されています。 つづきを読む

東十八間櫓、北十八間櫓、五間櫓

  • 見所
熊本城の東竹の丸にある平櫓群は国の重要文化財に指定されています。 つづきを読む

銀杏の木

  • 見所
熊本城の本丸には「銀杏城」という名の由来になった大きな銀杏の木があります。 つづきを読む

本丸御殿と昭君之間

  • 見所
「昭君之間」を含む本丸御殿は2008年(平成20年)に復元されました。 つづきを読む

闇り通路

  • 見所
熊本城の名所のひとつ、闇り通路は全国的にも珍しいトンネル上の通路です。 つづきを読む

宇土櫓

  • 見所
熊本城にあった五階櫓のうち、唯一現存しているのがこの宇土櫓です。 つづきを読む

地図石

  • 見所
熊本城には「地図石」と呼ばれる、美しい石畳があります。 つづきを読む

数寄屋丸二階御広間

  • 見所
数寄屋丸二階御広間(数奇屋丸二階櫓)はかつて能や茶会が開かれた場所です。 つづきを読む

質部屋跡

  • 見所
熊本城内の人質を置くための建物(質部屋)があったと思われる場所です。 つづきを読む

五階櫓跡(西竹の丸脇五階櫓)

  • 見所
熊本城にあった西竹之丸脇五階櫓は別名「独立櫓」とも呼ばれています。 つづきを読む

平御櫓

  • 見所
平御櫓は須戸口門から入ってすぐのところにあった櫓です。 つづきを読む

三木城の天守台

  • 見所
三木城に天守があったかどうかは不明ですが、上の丸公園には天守台があります。 つづきを読む

武家屋敷跡

  • 見所
二の丸公園の北側には江戸時代の武家屋敷跡が残されています。 つづきを読む

古代山城の石垣

  • 見所
黒田官兵衛は古代山城・唐原山城の石垣を転用して石垣を築きました。 つづきを読む

黒田時代と細川時代の石垣

  • 見所
中津城では黒田官兵衛の時代と細川忠興の時代の両方の石垣が見られます。 つづきを読む

鉄門跡(鉄御門跡)

  • 見所
中津城にはすぐ脇を流れる中津川に面して鉄門があったそうです。 つづきを読む

白鳥鞘の鑓

  • 見所
中津城には奥平忠昌が徳川家康から拝領した「白鳥鞘の鑓」が展示されています。 つづきを読む
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今日のレビュー

明石城完全攻城ガイド

写真、図版、イラストが豊富で視覚的にも楽しめます。
また、詳細なデータや豆知識的な話題もあり、読み応え十分です。
個人的には、総ページに対してマンガの分量が少し多いかなと。
ムスメ(7才)が、「これ欲しい!ちょうだい!お願い!」と、やけに気に入った様子。「どこが気に入ったん?」と聞いてみると、「だって、マンガがあるから!」
改めて、マンガの力を認識しました。
このシリーズが増えていったら、マンガの部分だけを再編集して「マンガお城の歴史」として発行できそうですね。

いけだ商会さん)

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