御主殿の滝は1590年(天正18年)の落城の際に御主殿にいた北条方の婦女子や武将らが滝の上流で自刃し、次々と身を投じた滝といわれています。
このときの八王子城合戦によって城山川の水が三日三晩血に染まり、麓の村では、この城山川の水で米を炊けば赤く米が染まるほどであったと伝えられています。
なお、このことに起因して先祖供養にあずきの汁で米を炊いた「あかまんま」(赤飯)を炊いて供養をする風習が現在でもつづいているそうです。
現在は林道整備のために半分以上が削られていますが、滝の林道側には高さ3mほどの土塁が御主殿方向につながっていました。
この土塁をダムにして、上流に大きな溜め池があったとする説が有力となっています。