一乗谷朝倉館跡には復原町並として戦国時代の城下町の様子が原寸大で復原されていますが、武家屋敷と考えられている多くの屋敷跡の中で、もっとも遺構の保存が良く、当時の全体の様子がわかるのがこの屋敷です。
現状では門に石段が設けられていますが、本来は道路と同じ高さだったそうです(遺構の保存を考えて約60cm盛り土したため)。
また門は南隣の屋敷で検出された形式に習って棟門になっています。
屋敷の敷地内には蔵や納屋、井戸などが復原されています。
武家屋敷の中心となる主殿(しゅでん)には朝倉象棋(越前朝倉象棋)に興じている様子を紹介する人形があります。
朝倉象棋というのは、現在使われている将棋の駒のほかに「酔象駒(すいぞうこま)」を使います。酔象駒は、最初に駒を並べたときは「王将」のすぐ前に置きます。また、この駒は真後ろ以外の7方向へ1マスずつ移動でき、さらに相手陣内に入ると成って「太子」となり王将と同じ動きをする。そして自軍の王将がとられてしまった場合でも、王の代わりとして試合を続行できる役割を持った駒だそうです。
現在でも越前朝倉象棋の大会が地元福井では行われているそうです。
復原武家屋敷
この屋敷は約30m四方の基準的な広さを持ち、周囲に土塀を巡らし、西の道路に向かって表門を開いている。屋敷内の南半に6間×4間の主殿(しゅでん)を配し、これに接して東南隅に座敷と庭を設けている。北半には蔵や使用人が居住したと考えられる納屋や井戸が配されている。これらの建物は、発掘調査の結果に基き、絵画等の資料を参考にして推定復原を行った。屋根は割板で葺かれ、室内には畳も敷きつめられ、舞良戸(まいらど)・明障子(あかりしょうじ)等の引戸が多く用いられている。木材の加工には、かんな・やりかんな・ちょうな等当時の道具を用いている。全体にかなり進んだ建築様式の住宅であったことが知られ、一乗谷の文化水準の高さが伺われ、興味深い。