一乗谷城は朝倉氏の居城として知られ、一度も戦闘に使用されることなく廃城となった城でもあります。現在でも曲輪や空堀、伏兵穴跡などの遺構が尾根や谷筋に沿って残っています。また織田信長の侵攻に備えて築かれた畝状竪堀の一部も残っています。一乗谷城と山麓の城下町(朝倉氏および家臣の居館)からなる遺跡全体が国の特別史跡や日本100名城に選ばれています。戦国時代、一乗谷は北ノ京とも呼ばれるほど栄えた都市ですが、織田信長の侵攻により灰燼に帰しています。近年、周辺の発掘調査が進んでおり、その結果や史料を参考に当時の町並みが復元され、復原町並として公開されています。こうした原寸大の立体模型は日本初です。
目次
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443 m( 400 m)
内郭:-- 外郭:278 ha
朝倉氏
着工 南北朝時代
1575年(天正3年)
桂田長俊(前波吉継)
朝倉氏、桂田長俊(前波吉継)
土塁、堀、門
特別史跡(遺跡)、特別名勝(庭園)、重要文化財(遺跡出土品)
項目 | データ |
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曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 443 m( 400 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:278 ha |
築城主 | 朝倉氏 |
築城開始・完了年 | 着工 南北朝時代 |
廃城年 | 1575年(天正3年) |
主な改修者 | 桂田長俊(前波吉継) |
主な城主 | 朝倉氏、桂田長俊(前波吉継) |
遺構 | 土塁、堀、門 |
指定文化財 | 特別史跡(遺跡)、特別名勝(庭園)、重要文化財(遺跡出土品) |
復元状況 |
更新日:2023/12/07 12:08:30
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一乗谷城の見所や歴史などを紹介します。
一乗谷城の見学情報・施設案内 情報の追加や修正
項目 | データ |
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営業時間 |
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料金(入城料・見学料) |
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休み(休城日・休館日) |
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トイレ | |
コインロッカー | |
写真撮影 | |
バリアフリー |
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一乗谷城へのアクセス情報 情報の追加や修正
無料
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 無料 |
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歴史好きな方であっても「世界史」と言われるとカタカナ文字だらけだったり、地域を跨ぐ国がいくつも栄衰したりで手が出し難いと思います。
一方「鉄砲伝来」とか「日本銀」のお話と言うと、ここ最近のテレビ番組でも特集が組まれたりしているので、もっと詳しく広い範囲で知りたい方もいらっしゃるのではないでしょうか?
この本は対馬や琉球などの「日本と海外の境界地」を中心とした戦国期の歴史から民族の流れや需要と供給の変化などを知ることが出来ますよ。
なので読み進め方は最初から読むよりも興味のあるキーワードがある章から読み始め、最後に全体を通して読むのが良いと思います。
個人的なおすすめは第6章でざっくり言うと、豊臣秀吉の朝鮮出兵の本当の目的は?その結果世界(特にアジア圏)はどう変わったか?のお話です。
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