別名 結城氏北ノ庄城、新北ノ庄城、福居城
お知らせ 詳細
福井城は「関ケ原の戦い」後に、徳川家康の次男である結城秀康によって築かれた城です。天下普請によって築城されました。本丸、二の丸は家康自ら縄張りを行ったという説もあります。幕末の名君、松平春嶽の居城としても有名です。内堀、石垣、天守台などの遺構が残り、石垣は切込接ぎの布積みで積まれているため、大変美しいです。天守台のそばには「福井」の語源由来となったといわれる「福の井」という井戸が残っています。また本丸御殿の一部は第5代、第7代藩主を務めた昌親(吉品)とその母親の高照院の墓所である瑞源寺の本堂および書院として移築されています。天守は現存していませんが、内堀にかかる御廊下橋が復元されています。この橋は屋根付きの珍しい橋です。
目次
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16.3 m
内郭:-- 外郭:--
3重5階
当初築かれた4重5階の連結式望楼型天守(28m,天守台含め37m)は1658年(万治元年)と1669年(寛文9年)の二度にわたる大火で焼失した。その後は天守の再建許可が幕府から降りず、以降は本丸南西隅の2重巽櫓を3重に再建し天守の代用としていた。
結城秀康
着工 1601年(慶長6年) 〜 竣工 1606年(慶長11年)
1871年(明治4年)
越前松平家
石垣、土塁、堀
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 輪郭式 |
縄張形態 | 平城 |
標高(比高) | 16.3 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 複合式望楼型 |
天守の階数 | 3重5階 |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 当初築かれた4重5階の連結式望楼型天守(28m,天守台含め37m)は1658年(万治元年)と1669年(寛文9年)の二度にわたる大火で焼失した。その後は天守の再建許可が幕府から降りず、以降は本丸南西隅の2重巽櫓を3重に再建し天守の代用としていた。 |
築城主 | 結城秀康 |
築城開始・完了年 | 着工 1601年(慶長6年) 〜 竣工 1606年(慶長11年) |
廃城年 | 1871年(明治4年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 越前松平家 |
遺構 | 石垣、土塁、堀 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/03/19 12:08:12
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項目 | データ |
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駐車場 |
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この本は日経新聞の土曜朝刊別刷に掲載中の「何でもランキング(1〜10位)」の旅に関する記事をまとめたもの(2019年8月発行)。《第1部、絶景を見に行く》のコーナーには「闇夜に浮かぶ城、冬こそ必見」、《第2部、そぞろ歩きを楽しむ》には「1日で散策満喫、ほどよいサイズの城下町」のページがあってそれぞれ10の城と城下町が紹介されています。松本城と弘前城は両方にランクイン、また「〜城下町」の方にはこうの団長のコメントや「調査の方法」のところには「お城ファンサイト「攻城団」などの推薦や…」というちょっと嬉しい表記も。
たまには攻城しないお出かけ先を探してみようと久しぶりに書棚から出したのですが、やっぱり「城、城下町」のページを真っ先にチェックしました。さて、同行者の満足ポイント(街歩きと地元の食やお酒)があって、ほどよく攻城できる次の行き先はどこになるかな。
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