福井城の天守台のそばには「福の井」という井戸が残っています。
この井戸は結城秀康が福井城を築く以前からこの地にあったそうで、「福井」という地名の由来となったという説があります。
底部までの深さは5.7m、水深は1.9mだそうです。
この井戸には城外へ通じる抜け道があるとの言い伝えがあり、過去に調査されたこともあります。
1624年(寛永元年)に3代藩主・松平忠昌によって、「北」の字が「敗北」にあたり不吉であるとして「北ノ庄」から「福居」に改名され、さらに後に「福井」と改名されたと伝わります。
天守閣跡と福の井
ここは福井城天守閣跡である 福井城はもと北ノ庄城と稱せられ 慶長六年福井藩祖徳川秀康之を改築して ここに天守閣をきずいた 爾来明治維新まで約二百六十年間 當城は福井藩主松平家の居城であった
ここにある古い井戸は福の井と稱せられ 當城の改築以前からここに存し 名井として知られていた 寛永元年(紀元二二八四年)當地の名稱北ノ庄が福井に改稱されたが その由来はこの福の井の名に因んだものと傳えられている
ちなみに「寛永元年(紀元2284年)」と記載されているのはまちがいではなくて、皇紀の表記だそうです。
皇紀――正確には神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)――は、初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年(紀元)とする日本の紀年法のことで、皇紀2284年は西暦1624年となります。