別名 亀山城
越前大野城は織田信長の家臣である金森長近によって築かれた城です。長近はのちに「北陸の小京都」と呼ばれるまちづくりを行っています。江戸時代には土井利房が入城し、以降は土井氏が城主を務めました。遺構としては、山頂の本丸跡に石垣が現存しています。建造物としては、櫓門であった鳩門の門部分が光明寺山門として移築現存しています。また、7代利忠の隠居所が無料休憩所「藩主隠居所」(旧柳廼社社務所)として移築現存しており、当時の武家屋敷の姿を見ることができます。本丸跡には模擬天守が建てられており、金森氏や土井氏など歴代の城主に関する資料が展示されています。竹田城や備中松山城と並び、雲海に浮かぶ「天空の城」としても知られています。
越前大野城を訪問した2211人の報告によれば、平均見学時間は1時間9分、平均評価は3.45点となっています。
目次
越前大野城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
越前大野城に関するデータ 情報の追加や修正
250 m( 75 m)
内郭:-- ha 外郭:-- ha
2重3階
17 m
6 m
345.51 m2
築城当時の天守は望楼付きの2重3階の大天守に2重2階の小天守、天狗の間(天狗書院)と呼ばれた付櫓(天狗櫓)が付属された、複合連結式の天守だったとされるが、1775年(安永4年)に焼失。現在ある復興天守は1968年(昭和43年)に建てられたものであるが、小天守が天狗の間の位置に建てられていることなど、史実に基づいた復元再建ではない。
金森長近
着工 1575年(天正3年)
明治時代初期
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金森氏、松平氏(5万石)、土井氏(4万石)ほか
石垣、堀、土居、曲輪、登城路
県史跡
復興天守、門
登録日:2013/11/17 17:35:48
更新日:2024/12/13 14:37:39
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あり
なし
館内撮影不可
なし
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