越前大野城は織田信長の家臣である金森長近によって築かれた城です。長近はのちに「北陸の小京都」と呼ばれるまちづくりを行っています。江戸時代には土井利房が入城し、以降は土井氏が城主を務めました。遺構としては、山頂の本丸跡に石垣が現存しています。建造物としては、櫓門であった鳩門の門部分が光明寺山門として移築現存しています。また、7代利忠の隠居所が無料休憩所「藩主隠居所」(旧柳廼社社務所)として移築現存しており、当時の武家屋敷の姿を見ることができます。本丸跡には模擬天守が建てられており、金森氏や土井氏など歴代の城主に関する資料が展示されています。竹田城や備中松山城と並び、雲海に浮かぶ「天空の城」としても知られています。
目次
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越前大野城に関するデータ 情報の追加や修正
250 m( 75 m)
内郭:-- 外郭:--
2重3階
17 m
6 m
345.51 m2
築城当時の天守は望楼付きの2重3階の大天守に2重2階の小天守、天狗の間(天狗書院)と呼ばれた付櫓(天狗櫓)が付属された、複合連結式の天守だったとされるが、1775年(安永4年)に焼失。現在ある復興天守は1968年(昭和43年)に建てられたものであるが、小天守が天狗の間の位置に建てられていることなど、史実に基づいた復元再建ではない。
金森長近
着工 1575年(天正3年)
明治時代初期
金森氏、松平氏(5万石)、土井氏(4万石)ほか
石垣、堀、土居、曲輪、登城路
県史跡
復興天守、門
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 梯郭式 |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 250 m( 75 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 連結式望楼型 |
天守の階数 | 2重3階 |
天守の種類 | 復興天守 天守の分類 |
天守の高さ | 17 m |
天守台石垣の高さ | 6 m |
天守の広さ(延床面積) | 345.51 m2 |
天守メモ | 築城当時の天守は望楼付きの2重3階の大天守に2重2階の小天守、天狗の間(天狗書院)と呼ばれた付櫓(天狗櫓)が付属された、複合連結式の天守だったとされるが、1775年(安永4年)に焼失。現在ある復興天守は1968年(昭和43年)に建てられたものであるが、小天守が天狗の間の位置に建てられていることなど、史実に基づいた復元再建ではない。 |
築城主 | 金森長近 |
築城開始・完了年 | 着工 1575年(天正3年) |
廃城年 | 明治時代初期 |
主な改修者 | |
主な城主 | 金森氏、松平氏(5万石)、土井氏(4万石)ほか |
遺構 | 石垣、堀、土居、曲輪、登城路 |
指定文化財 | 県史跡 |
復元状況 | 復興天守、門 |
更新日:2023/12/02 14:18:46
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越前大野城の見学情報・施設案内 情報の追加や修正
あり
なし
館内撮影不可
なし
項目 | データ |
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営業時間 |
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料金(入城料・見学料) |
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休み(休城日・休館日) |
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トイレ | あり |
コインロッカー | なし |
写真撮影 | 館内撮影不可 |
バリアフリー | なし |
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越前大野城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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