備中松山城は現存12天守の中では唯一の山城であり、現存天守でもっとも高い所にある城です。日本三大山城のひとつでもあります。海抜約480mの臥牛山の山頂付近に本丸があるため、山の中腹(8合目)にある駐車場から歩いても30分近くかけてのぼることになります。現存天守の中ではもっとも訪問しづらい城といえます。また江戸時代、城主をつとめた水谷氏がお家断絶になったため、『忠臣蔵』で有名な赤穂藩主・浅野長矩の管理とされ、城の受け取りには家老である大石内蔵助が訪れています。そのため山頂にのぼるルートにはそのときに休んだとされる「大石内蔵助の腰掛け石」があります。時期や条件が整えば、竹田城のように雲海に浮かぶ姿を見ることができます。
目次
備中松山城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 430 m( 340 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 複合式層塔型 |
天守の階数 | 2重2階 |
天守の種類 | 現存天守 |
天守の高さ | 11 m |
天守台石垣の高さ | 2.7 m |
天守の広さ(延床面積) | 200 m2 |
天守メモ | 1605年(慶長10年)に小堀政一が修築を行ったとされるが天守の規模は不明。現存する天守はその後、1681年(天和元年)に水谷勝宗が幕府の許可を得て修築を行なったもので、1683年(天和3年)に完成した。 |
築城主 | 秋葉重信 |
築城開始・完了年 | 着工 1240年(仁治元年) |
廃城年 | 1874年(明治7年) |
主な改修者 | 三村元親、小堀政一、水谷勝宗 |
主な城主 | 三村氏、小堀氏、池田氏(6万5千石)、水谷氏(5万石)、安藤氏(6万5千石)、石川氏(6万石)、板倉氏(5万石) |
遺構 | 現存天守、櫓、塀、石垣、土塁 |
指定文化財 | 国の重要文化財(天守、二重櫓、土塀)、国史跡 |
復元状況 | 櫓、門、塀 |
更新日:2023/09/23 11:23:01
備中松山城には「攻城団コラボチラシ」があります。入手場所など詳しくは城メモをご覧ください。
備中松山城の見所や歴史などを紹介します。
項目 | データ |
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営業時間 |
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料金(入城料・見学料) |
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休み(休城日・休館日) | 12月29日~1月3日 |
トイレ | あり |
コインロッカー | なし |
写真撮影 | 可 |
バリアフリー |
備中松山城の見所は城メモをご覧ください
さらに先の週間天気予報については気象庁のサイト 等で確認してください。
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
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