1916年(大正5年)の秋、歌人の与謝野夫婦が備中松山城のある高梁を訪れたそうです。
そのときに与謝野寛(よさのひろし)が詠んだ歌が石碑になっています。
松山の渓を埋むるあさ霧にわが立つ城の四方しろくなる与謝野寛
与謝野寛は与謝野鉄幹(よさのてっかん)という名前のほうが有名ですね。
奥さんの与謝野晶子も次のような歌を詠んでいます。
瀬戸の海伯耆に霧の分れ去りあらはになりぬ傷ましき城与謝野晶子
ふたりは油屋旅館(岡山県高梁市本町38)を宿に、備北路の紅葉をめぐる6日間の旅を楽しんだそうです。
当時はまだ天守も修復されていなかったそうですが、早朝から臥牛山に登り、備中松山城や高梁の風景を詠みました。
なお、油屋旅館はいまでも泊まれます。