高梁市観光協会によって作成された備中松山城の登城絵図です。
天守
最も高い所に天守の現存する山城(標高430m)。二層二階の典型的な山城だが、三層に見える様にデザインされている。篭城戦を想定し、囲炉裏や装束の間が設けられており、二階には御社壇(神棚)があるのが特徴。天守は1683年、水谷勝宗によって大修復されたもの。
(国指定重要文化財)二重櫓
天守の北側、岩盤の上に造られた二重櫓。天然の岩盤の上に石垣を築き建てられており、山城の特徴がよく現れている。
(国指定重要文化財)二の丸
二の丸はもっとも広くお弁当を食べたりするのに最適。城下を見下ろしたり、記念撮影をしたりもできる。御前棚(ごぜんだな)
かつては食事をつくる場所だったが、現在はトイレになっている。厩曲輪(うまやぐるわ)
荷場を繋いでいた厩曲輪。現在で言えば駐車場に当たる場所。。土塀
土塀の一部が現存のもので、残り半分は復元されたもの。壁の段差で、現存部分と復元部分を区切っている。
(国指定重要文化財)大手門跡
大手門から先には多くの石垣が残っているが、一際目を引くのが大手門の右手にそびえる石垣群だ。天然の岩盤の上に石垣を築き、更に土塀を建てる。山城の魅力である天然と人工のコラボレーションがよく表れている。中太鼓の丸跡
かつて御根小屋と天守との伝達手段として使われた太鼓の丸。下太鼓の丸と中太鼓の丸の二つの中継地点をもうけ、太鼓の合図で連絡を取り合っていた。大石内蔵助腰掛石
水谷家は三代で世継ぎが無く断絶。この際、城の受取に来たのが播州赤穂の大石内蔵助だった。備中松山藩家老鶴見内蔵助との話し合いにより、無血開城することに成功。二人内蔵助会議として語り継がれる。ふいご峠石
臥牛山8合目の駐車場。備中松山城の御社壇に納められた三振の宝剣をこの場所で作らせ、その為に大きな「ふいご」が設置されていたことから、この名前がついた。ここから徒歩で700m約20分で天守に到着。御根小屋跡
城主が日常住んでいた御殿に当る建物で政庁も兼ねている。天守は象徴的な存在で、政治の中心は御根小屋で行われた。現在の高梁高等学校。