徳倉城は備前守護代・松田元隆(元澄)の居城である金川城の支城で、元隆の四男である松田元資の居城として知られています。以後、松田氏の重臣である宇垣氏代々の居城となりました。宇喜多直家によって松田氏が滅ぼされると遠藤河内守が城主となり、河内守が岡山城へ移ったあとは城番が置かれていました。「関ケ原の戦い」後に廃城となっています。現在城址には野面積みの石垣や数百mにおよぶ空堀などの遺構を確認することができます。
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232 m( 170 m)
内郭:-- 外郭:--
松田元資
着工 1476年(文明8年)以前か
1600年(慶長5年)頃
松田元資、宇垣市郎兵衛、遠藤河内守
曲輪、石垣、石塁、土塁、空堀、堀切、井戸
県史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 232 m( 170 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 松田元資 |
築城開始・完了年 | 着工 1476年(文明8年)以前か |
廃城年 | 1600年(慶長5年)頃 |
主な改修者 | |
主な城主 | 松田元資、宇垣市郎兵衛、遠藤河内守 |
遺構 | 曲輪、石垣、石塁、土塁、空堀、堀切、井戸 |
指定文化財 | 県史跡 |
復元状況 |
更新日:2023/12/07 03:49:31
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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