金川城は松田氏は備前西部を支配した戦国大名、松田元成の居城です。松田氏中興の祖としても知られる元成が1480年(文明12年)に富山城から居城を移すと、以降、松田氏代々の居城となりました。1568年(永禄11年)に松田元輝が舅(岳父)である宇喜多直家によって攻められ落城すると、13代235年つづいた松田氏は滅亡しました。その後、城代として直家の弟である宇喜多春家が入りましたが、「関ケ原の戦い」で宇喜多氏が改易となり、代わって小早川秀秋が入封すると廃城となりました。「西備前一の堅城」と謳われた、岡山県下でも天神山城と並んで屈指の規模を誇る中世山城で、現在城址には石垣や井戸などの遺構が残っています。
金川城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
金川城に関するデータ 情報の追加や修正
225 m( 185 m)
内郭:-- 外郭:--
松田盛朝
着工 承久年間(1219年~1222年)
1603年(慶長8年)頃
松田氏、宇喜多氏、小早川氏、池田氏
石垣、土塁、曲輪、堀、井戸
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 225 m( 185 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 松田盛朝 |
築城開始・完了年 | 着工 承久年間(1219年~1222年) |
廃城年 | 1603年(慶長8年)頃 |
主な改修者 | |
主な城主 | 松田氏、宇喜多氏、小早川氏、池田氏 |
遺構 | 石垣、土塁、曲輪、堀、井戸 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2023/12/08 03:43:26
金川城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
|
アクセス(クルマ) |
|
駐車場 |
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
金川城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
歴史好きな方であっても「世界史」と言われるとカタカナ文字だらけだったり、地域を跨ぐ国がいくつも栄衰したりで手が出し難いと思います。
一方「鉄砲伝来」とか「日本銀」のお話と言うと、ここ最近のテレビ番組でも特集が組まれたりしているので、もっと詳しく広い範囲で知りたい方もいらっしゃるのではないでしょうか?
この本は対馬や琉球などの「日本と海外の境界地」を中心とした戦国期の歴史から民族の流れや需要と供給の変化などを知ることが出来ますよ。
なので読み進め方は最初から読むよりも興味のあるキーワードがある章から読み始め、最後に全体を通して読むのが良いと思います。
個人的なおすすめは第6章でざっくり言うと、豊臣秀吉の朝鮮出兵の本当の目的は?その結果世界(特にアジア圏)はどう変わったか?のお話です。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する