庭瀬城は撫川城と同様に三村氏が宇喜多直家に備えるために築いた城です。関ケ原の戦いにおいて、宇喜多氏の家臣であった戸川達安は主家の意向に反して東軍に属し、戦功を挙げた(石田三成の重臣である島清興を討ち取ったともいう説もあります)ことにより備中庭瀬に3万石を与えられました。達安は撫川城に入城し、庭瀬城を取り込む形で拡張し、庭瀬陣屋として整備しました。1699年(元禄12年)に板倉重高が2万石で入封し、明治維新までの約170年間、板倉氏が庭瀬藩主を務めました。現在、城址(陣屋跡)には清山神社があります(清山神社は板倉勝喜が建立)。近隣の松林寺は板倉氏の菩提寺で庭瀬城主宗廟があります。
目次
庭瀬城に関するデータ 情報の追加や修正
1.8 m
内郭:-- 外郭:--
三村元親
着工 1559年(永禄2年)
1869年(明治2年)
戸川達安
戸川達安(2万9千石)、板倉勝喜(2万石)
石垣、堀
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 平城 |
標高(比高) | 1.8 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 三村元親 |
築城開始・完了年 | 着工 1559年(永禄2年) |
廃城年 | 1869年(明治2年) |
主な改修者 | 戸川達安 |
主な城主 | 戸川達安(2万9千石)、板倉勝喜(2万石) |
遺構 | 石垣、堀 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/20 14:31:46
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
|
アクセス(クルマ) | |
駐車場 | 清山神社の北側にあり |
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
庭瀬城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する