庭瀬城は撫川城と同様に三村氏が宇喜多直家に備えるために築いた城です。関ケ原の戦いにおいて、宇喜多氏の家臣であった戸川達安は主家の意向に反して東軍に属し、戦功を挙げた(石田三成の重臣である島清興を討ち取ったともいう説もあります)ことにより備中庭瀬に3万石を与えられました。達安は撫川城に入城し、庭瀬城を取り込む形で拡張し、庭瀬陣屋として整備しました。1699年(元禄12年)に板倉重高が2万石で入封し、明治維新までの約170年間、板倉氏が庭瀬藩主を務めました。現在、城址(陣屋跡)には清山神社があります(清山神社は板倉勝喜が建立)。近隣の松林寺は板倉氏の菩提寺で庭瀬城主宗廟があります。
庭瀬城を訪問した236人の報告によれば、平均見学時間は19分、平均評価は2.97点となっています。
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清山神社の北側にあり
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江戸時代の大名について詳しく知りたいと思っていた時に目に止まり、読んでみることにしました。江戸時代大小併せて260~300藩有ったと言われていますが、本書では大名の格差をテーマとして石高、将軍との関係、江戸城、江戸藩邸、参勤交代の5つに分けてエピソードを交えて書かれています。石高の大小による格差をはじめとして、将軍家から嫁をもらったり、養子をもらったした大名の家格が上げられたり、その家格によって江戸城内での将軍との拝謁の仕方や服装が違ったり、江戸藩邸では門構えや屋敷の広さに差が見られたり、最後に参勤交代の道中でかち合いそうになった場合とか宿場が同じになりそうになった場合にその大名の格差が顕著に表れる事を細かいところまで知ることが出来ました。その当時の大名たちは自分の家格を十分に認識した上で行動し、少しでもその家格を上げることを日々考えていることがよく理解できる一冊でした。
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