別名 勝山城、大総山城、大都夫良山城、夥山城
高田城は三浦氏によって築かれた城です。その後、尼子氏や毛利氏によって何度も攻められ落城しますが、三浦氏はそのたびに奪還しています。しかし1576年(天正4年)以降は宇喜多氏によって支配され、江戸時代は小早川氏、森氏の領地となり城番が置かれました。森氏改易後は一時直轄領となり、江戸中期の1764年(明和元年)に譜代大名の三浦明次が西尾藩より転封して勝山藩が立藩しました。当初は高田藩と呼んでいましたが、勝山城に改称したことにともない勝山藩となり、幕末まで三浦氏が10代つづきました。現在城址は二の丸が野球場になっていますが、山頂の本丸周辺には堀切などの遺構が残っています。また市内に最後の城主、10代・三浦顕次(たかつぐ)が暮らした「椎の木御殿(旧三浦家別邸)」があります。なお、高田城を築城した三浦氏と江戸時代に勝山藩主となった三浦氏は同祖異系です。
高田城は勝山藩の藩庁です。
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260年近く泰平な世の中であった江戸時代、徳川幕府に付いて知りたくこの本を手にした。
徳川政府(徳川幕府の事)とか、禁裏(朝廷の事)とか、聞き慣れない言葉が所々に出てきて最初は違和感を感じ、アメリカの研究者が書かれたものを翻訳されたものなので仕方がないと思っていましたが、最後まで読み終えると、「そうだったのか」と目から鱗が落ちた気持ちになります。
まとめとしては、徳川政府が把握する「表」の歴史と各大名が把握している「内証」の歴史は違う事をお互いに容認することで争い事のない泰平な世が260年近く続ける事が出来たようです。しかし、諸外国の進出により、この状況を理解させられなかったことから幕府の権威が失墜し、明治維新に繋がったということですが、それに繋がる研究事例がよくまとめられていました。
以上の様に、何故江戸時代が260年近くに渡り泰平な世だったかを理解するのにベストな一冊かと思います。
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