医王山城は上道是次によって築かれたと伝わる城です。因幡と美作を結ぶ街道の要衝にあり、たびたび城主が代わっていることからもその重要性と激戦地であったことが伺えます。戦国時代、毛利元就が尼子氏を滅ぼすと毛利領となり、湯原春綱らが在番していましたが、1579年(天正7年)に宇喜多直家が織田信長に降服すると、直家は羽柴秀吉とともにこの城を攻めています。その後、備中高松城の落城後に秀吉と毛利氏の間で和睦が成立すると宇喜多領となり、直家は有事に備えて城を修復しています。現在城址は医王山城跡保存会の方々によって整備されており、土塁や堀切などの遺構を確認することができます。登城口は岩尾寺にあり、案内板が設置されています。
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医王山城は標高343mの医王山に築かれた中世山城で、南北朝時代から戦国時代にかけて、山名氏、赤松氏、尼子氏、浦上氏、毛利氏、宇喜多氏の諸勢力が相次いて支配していたそうです。
毛利氏の時代には美作に侵攻してきた宇喜多氏と羽柴秀吉の軍勢との間で激戦が繰り広げられましたが、毛利方が撃退しその後、備中高松城の水攻めでの毛利氏と羽柴秀吉との間で和睦で宇喜多氏の領土となり、医王山城の重要性から修復がなされています。
江戸時代になると廃城となりましたが、約400年後の1995年に地元の方が中心となって整備を始め、現在に至っているそうです。
斜面は少しきつめですが、本丸までの登山道が整備されて登りやすく、本丸からも景色も絶景で、山麓の岩尾寺に車が置かせてもらうことができて、パンフレットまで頂けるという至れり尽くせりのお城ですので、近くに行かれた方は是非行ってみてください。
写真は最寄駅の美作滝尾駅です。戦前に作られた木造の駅舎で、映画「男はつらいよ」シリーズ最終作「寅次郎紅の花」のファーストシーンが撮影された駅としても有名で、渥美清さんを慕う寅さんファンが全国から訪れているそうです。
(2025/05/15記入) すべての城活ノートを表示(1件)