篠向城は飯田氏によって築かれたと伝わる城です。その後も山名氏や三浦氏に支配されますが、1576年(天正4年)に三浦氏が毛利輝元によって滅ぼされると、宇喜多氏の所領となり、家臣である江原兵庫助親次が城主をつとめした。宇喜多氏が織田氏と同盟を結んだことにより、毛利方の吉川元春によって攻められ、親次は城を明け渡して撤退しました。1584年(天正12年)に毛利氏と羽柴氏との間で講和が成立すると、美作国は宇喜多氏の所領となり、再び親次が城主となります。しかし親次は朝鮮出兵に従軍して釜山で病死したため、廃城となりました。現在城址には50本以上の畝状竪堀群が残っており、中には70mをこえる長さの竪堀もあります。
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419 m( 250 m)
内郭:-- 外郭:--
長野越中守か
着工 建武年間(1334年〜1338年)
1598年(慶長3年)か
宇喜多直家
飯田氏、赤松性貞、山名右近亮、三浦氏、毛利氏、江原親次
曲輪、土塁、畝状竪堀、横堀、堀切
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 419 m( 250 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 長野越中守か |
築城開始・完了年 | 着工 建武年間(1334年〜1338年) |
廃城年 | 1598年(慶長3年)か |
主な改修者 | 宇喜多直家 |
主な城主 | 飯田氏、赤松性貞、山名右近亮、三浦氏、毛利氏、江原親次 |
遺構 | 曲輪、土塁、畝状竪堀、横堀、堀切 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/28 03:55:49
篠向城へのアクセス情報 情報の追加や修正
本丸付近に駐車スペースあり(登城口からは細道)
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 本丸付近に駐車スペースあり(登城口からは細道) |
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