久下城は丹波の国人領主である久下氏代々の居城として知られています。室町時代は丹波守護代をつとめた久下氏でしたが、細川政元による「明応の政変」をきっかけに勢力を失い、戦国末期には黒井城の赤井氏に従属しており、1579年(天正7年)の明智光秀を中心とした丹波攻略によって落城しました。現在城址には堀切などの遺構が確認できます。また山麓には久下氏の菩提寺である長慶院があります。
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攻城団の「日本史の知識をアップデートするための勉強会」の予習として手に取りました。この著書は平氏の繁栄から滅亡までを描いた敗者の記録となっています。今までは平氏が圧倒的な兵力で保元、平治の乱を勝ち抜いてきたと思っていましたが、実は源氏側の準備不足が招いた結果であり、平氏自らが抱える兵力はそれ程多くはなかったようです。この事は各地の反乱を抑えるための追討使派遣の際も後白河院の宣旨があって初めて兵が集まる形となっており、「いざ鎌倉」のかけ声の下集まってくる鎌倉幕府の御家人とは違うところで、その違いが最終的には平氏滅亡に繋がることになったと感じました。また、一ノ谷合戦の鵯越の逆落としが義経ではなく、先導役であった多田行綱が行ったことも今回知りました。このように、テレビなどの影響もあるかもしれませんが、今まで自分が理解していた内容と違った歴史に触れることが出来た一冊となりました。
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