黒井城は赤井直正(荻野直正)の居城として知られています。直正は織田信長に臣従するも、のちに山名氏と交戦状態に入ったことに伴い、信長と敵対することになりました。信長は1575年(天正3年)明智光秀を総大将に丹波国征討戦に乗り出し、黒井城も包囲され一度は撃退するも、直正の病死の影響もあり1578年(天正6年)に落城しました。光秀は斎藤利三を城主に任じ、利三の娘である春日局(幼名:福)はこの地で生まれています。その後、光秀が「山崎の戦い」で敗れると羽柴秀吉の家臣であった堀尾吉晴が入城しています。現在、城址は整備されており、土塁や石垣など遺構を確認することができます。また時期によっては山頂の本丸跡から雲海を見ることもできます。
黒井城を訪問した1252人の報告によれば、平均見学時間は1時間35分、平均評価は3.55点となっています。
目次
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260年近く泰平な世の中であった江戸時代、徳川幕府に付いて知りたくこの本を手にした。
徳川政府(徳川幕府の事)とか、禁裏(朝廷の事)とか、聞き慣れない言葉が所々に出てきて最初は違和感を感じ、アメリカの研究者が書かれたものを翻訳されたものなので仕方がないと思っていましたが、最後まで読み終えると、「そうだったのか」と目から鱗が落ちた気持ちになります。
まとめとしては、徳川政府が把握する「表」の歴史と各大名が把握している「内証」の歴史は違う事をお互いに容認することで争い事のない泰平な世が260年近く続ける事が出来たようです。しかし、諸外国の進出により、この状況を理解させられなかったことから幕府の権威が失墜し、明治維新に繋がったということですが、それに繋がる研究事例がよくまとめられていました。
以上の様に、何故江戸時代が260年近くに渡り泰平な世だったかを理解するのにベストな一冊かと思います。
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黒井城は猪ノ口山(標高356メートル)にある山城で、城域はなんと猪ノ口山系全体を含んでおり、主郭の北方向には西の丸が、西の丸の北東方向には龍ケ鼻砦、百間馬場が、西の丸の北西方向には千丈寺砦が、千丈寺砦の南方向には兵主神社西砦が、主郭の北東方向には北の丸が、主郭の南東方向には東出丸が、東出丸に続く尾根先には、多田砦、的場砦、東山砦が、主郭の南方向には、太鼓の段が、太鼓の段から南西方向には三段曲輪が、主郭の南西方向には、石踏の段があります。
つまり主郭周りの中腹に6つの曲輪を配置し、さらに主要な尾根には砦を築いています。
また曲輪間には、敵の進攻に合わせて味方が移動しやすいように連絡ルートを設けて、主郭部の周囲を守っています。
お時間のある方は、主郭だけでなく、その周りの曲輪や砦も攻城されては如何でしょうか。
写真は、主郭部から見た千丈寺砦方向の眺めです。
(2025/04/20記入) すべての城活ノートを表示(2件)