黒井城は赤井直正(荻野直正)の居城として知られています。直正は織田信長に臣従するも、のちに山名氏と交戦状態に入ったことに伴い、信長と敵対することになりました。信長は1575年(天正3年)明智光秀を総大将に丹波国征討戦に乗り出し、黒井城も包囲され一度は撃退するも、直正の病死の影響もあり1578年(天正6年)に落城しました。光秀は斎藤利三を城主に任じ、利三の娘である春日局(幼名:福)はこの地で生まれています。その後、光秀が「山崎の戦い」で敗れると羽柴秀吉の家臣であった堀尾吉晴が入城しています。現在、城址は整備されており、土塁や石垣など遺構を確認することができます。また時期によっては山頂の本丸跡から雲海を見ることもできます。
黒井城を訪問した1178人の報告によれば、平均見学時間は1時間21分、平均評価は3.57点となっています。
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「日本史の知識をアップデートするための勉強会」にて榎本先生から紹介もあり、読んでみることにしました。幕末から明治初期に渡り、加賀藩の御算用者であった猪山信之、直之、成之3代に渡り残された家計簿その他の書簡・日記から、その当時の武士の経済状態や考えが良く解る内容となっています。猪山家が困窮する家計を如何に立て直したか、また幕末から明治にかけて時代が変わる中で猪山成之がどのように考え行動していったかが、そして当時の士族が時代の流れの中でどのようになっていったのかの一端を垣間見ることが出来ました。この本が原作となった2010年公開の映画「武士の家計簿」の中で、原作では娘の髪結に際にお金がなく絵に描いた鯛を用いたエピソードが、長男の着袴の際のエピソードとして描かれておりましたが、映画の方も楽しく鑑賞させて頂きました。
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