金山城は織田信長の命を受け、丹波制圧にのりだした明智光秀によって築かれた城です。八上城の波多野秀治と黒井城の赤井氏との連携を分断するために築きました。その狙いが当たり、1579年(天正7年)6月に八上城が、8月には黒井城が落城することになります。現在は土塁や石垣が一部残るだけですが、本丸からは八上城と黒井城を眺めることができます。また、民話として有名な「鬼の架け橋」「天岩」等の景勝地があり、ハイキングコースとして訪れる人が多いです。
金山城を訪問した224人の報告によれば、平均見学時間は1時間29分、平均評価は3.17点となっています。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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