別名 高山城、甲山城

幸山城は備中守護代・石川氏の居城として知られています。旧山陽道を眼下に見下ろす要衝の地に築かれた城で、石川氏は8代、150年にわたってこの地をおさめました。石川久式のときに起きた「備中兵乱」で久式は義兄・三村元親に味方して毛利氏に敗れ、その後は毛利氏に通じ、小早川隆景の麾下に属した清水宗治が城主となりました。宗治が備中高松城に移った際に廃城になったと思われます。現在城址には幅30m、深さ4mほどある大堀切などの遺構が確認できます。
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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