朝倉義景館跡の背後には庭園がありその遺構を確認することができます。
特別名勝 一乗谷朝倉氏庭園
特別史跡一乗谷朝倉氏遺跡には、庭池の周囲に豪壮な庭石組を伴った林泉庭園から、数個の立石・伏石と小礫の化粧敷からなる枯淡な枯山水平庭まで数多く遺存する。それらの中で湯殿跡・諏訪館跡・義景館跡・南陽寺跡の4庭園が「一乗谷朝倉氏庭園」として平成3年(1991)5月28日、国の特別名勝に指定された。
義景館跡庭園を除いた3庭園は、庭石組などが地上に露出していたこともあり名園として知られるところで、昭和5年(1930)すでに国の名勝に指定されていた。しかしその後の管理が不十分でかなり荒廃していたので、昭和42年庭池の堆積土の除去や周囲の雑木の伐採などが行われ整備された。また昭和62年には湯殿跡・諏訪館跡で、庭池に導水するための石組溝や暗渠が発掘された。
山地を背景に凝灰角礫岩の立体的庭石組がなされている。湯殿跡庭園が最も古く、他の3庭園は義景時代の作庭で、庭石組の形式もよく類似する。後世に改変されることなく、室町時代末期の庭園様式をよく伝えている。
義景館跡庭園 完全に埋没していたが、昭和43年の館跡の調査で発掘された。汀の庭石を建物の礎石に兼用するなど、建物と庭園が密接な関係のもとに作られていた。庭池は数寄屋の南の山裾に設けられ、中央に滝石組がある。滝口の前方には水分石Dが、滝石組の左方には橋狭石と石橋の残片Hが遺存する。東側の急斜面には、つづら折に流れ落ちる導水路が作られている。
数寄屋跡の西には縁を介して、庭石を数個配し小砂利を化粧敷した枯山水平庭がある。当庭園には海石の安島石(普通輝石紫蘇輝石安山岩)や青石(緑色片岩)が一部に使われ、華麗な桃山庭園様式の芽生えがみられる。
諏訪館
諏訪館(すわやかた)は、朝倉氏5代当主・義景が4人目の側室である小少将のために造ったと伝えられる館です。近隣にある資料館には諏訪館の屋根板の重しや、魔除けの鬼瓦が展示されています。一乗谷朝倉氏庭園には4つの庭園がありますが、諏訪館の庭園はそのなかでももっとも規模が大きく、回遊式林泉庭園としては日本でも第一級の豪華さを誇るといわれています。
1967年(昭和42年)に復元整備され、1991年(平成3年)には導水路が整備されて水の流れる往時の景観が再現されました。
特別名勝 諏訪館跡庭園
諏訪館は、義景の夫人小少将の屋敷跡と伝えられる。庭園は一乗谷でも最も規模の大きい、回遊式林泉庭園である。
上、下2段の構成で、上段には滝石組と湧泉(ゆうせん)石組がある。導水路は、東側の土塁部では暗渠になっている。大きな礎石は、輪蔵(りんぞう)のものとみられる。
下段の滝副(たきぞえ)石は、高さ413cmで日本最大である。弘化4年(1847)朝倉教景、貞景、孝景の法名を刻んで供養している。落差が大きく水落石は4段に組む。水分石や礼拝石、橋狭石なども型通り据えられ、当時の庭園様式を良く伝える。構成は大変形式的で、専門の庭師の作庭によると推察される。
天端の平な石が多く安定感にとみ、実生のヤマモミジの巨木が庭石によく調和し、豪壮華麗な庭園美をつくる。