江戸城
江戸城

[東京都][武蔵] 東京都千代田区千代田


  • 平均評価:★★★★☆ 3.75(32位)
  • 見学時間:1時間38分(12位)
  • 攻城人数:3995(10位)

百人番所

同心番所の前を通り、本丸大手門(大手三の門)の渡櫓門石垣の間を抜けると、長さ50メートルを超える百人番所が見えてきます。
この建物は数少ない江戸時代から残る江戸城の遺構です。

ここは本丸の入口にあたる門であることから、江戸城最大の検問所でした。
百人番所には「百人組(鉄砲百人組)」と呼ばれた根来組、伊賀組、甲賀組、二十五騎組(廿五騎組)の4組が交代で詰めていました。各組とも与力20人、同心100人が配置され、昼夜を問わず警護に当たっていたそうです。
同心100人ずつで警護していたので、百人番所と呼ばれています。

ちなみに百人組は将軍が寛永寺や増上寺に参拝する際には山門前を警備するなど、幕府直轄(若年寄支配)の独立部隊として編成されていました。

それぞれの組の簡単な紹介です。

百人組(鉄砲百人組)について

組名紹介
伊賀組伊賀上野(三重県上野市)の服部半蔵が率いた伊賀武士の集団です。家康により召抱えられ、徳川幕府のために諸大名の内情を探ったり、江戸城下の治安を警護したりしました。江戸城の半蔵門は、伊賀者が警護しており、服部半蔵の名にちなんでその名がつけられました。
甲賀組滋賀県の南東部(滋賀県甲賀市)にあった甲賀武士の集団で、伊賀組同様、家康に召抱えられ、江戸城の警護にあたっていました。
根来衆紀州根来(和歌山県那賀郡)の根来寺の僧兵を中心とした紀州の鉄炮軍団です。織田信長の時代から活躍していたが、秀吉の根来攻めにより敗北しました。その後、家康により召抱えられたようです。
二十五騎組黒田家家臣によって構成された集団です。「黒田二十五騎」というのは後藤又兵衛(後藤基次)や母里太兵衛(母里友信)など、黒田官兵衛が家臣の中から選んだ精鋭軍団のことです。一般には「黒田二十四騎」と呼ばれることが多いですが、嫡男の長政を含めて「二十五騎」とも呼ばれました。

百人組の組屋敷は、それぞれ伊賀組は大久保に、甲賀組は青山、根来組は市ヶ谷、二十五騎組は内藤新宿にありました。
現在も新宿区百人町など、都内の地名や区割りに同心組屋敷の名残りをとどめています。

これらの組屋敷は、すべて甲州街道沿いにありました。
徳川家康は、江戸城が万一落ちた場合の備えとして、将軍は江戸城半蔵門から抜け出し、内藤新宿から甲州街道を通り、八王子を経て甲斐の甲府城に逃れるという構想を立てていました。
(八王子には大久保長安が統括した八王子千人同心と呼ばれる幕臣集団がいました)

百人組にはこうした有事の際の護衛の任務もありました。

百人番所
 本丸と二の丸へ通じる要所である大手三之門の前に設けられた番所です。鉄砲百人組と呼ばれた、甲賀組、伊賀組、根来(ねごろ)組、二十五騎組の4組が昼夜交代で詰めていました。各組には同心が100人ずつ配属されていました。
Hyakunin-bansho Guardhouse
A bansho was a guardhouse. This was the biggest guardhouse set up in front of the Ote-san-no-mon gate leading to Honmaru (inner citadel) and Ninomaru (second citadel), for inspection of visitors who entered from Ote-mon gate (main entrance) in the Edo Period.
One hundred samurai guardsmen, chosen from among the Kinsmen and loyal retainers of each of the four main branches of the Tokugawa clan, had their quarters there and worked in shifts day and night.
   

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今日のレビュー

戦国の終わりを告げた城―八王子城を探る (ロッコウブックス)

おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。

赤ヱ門さん)

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