富士見櫓は明暦の大火(1659年)で天守が焼失した後に、天守の代わりとして使用された三重櫓です。
江戸城のほぼ中央に位置しており、この場所は天守台についで高い場所(標高23m)であったことから、この富士見櫓が選ばれたそうです。
江戸城本丸では現存する随一の櫓ですが、残念ながら柵があって近づくことができません。
初代のものは1606年(慶長11年)、本丸造営工事の際に建てられました。
現在の富士見櫓は明暦の大火の後、1659年(万治2年)に再建されたもので、高さは15.5mあります。
関東大震災で倒壊しましたが、主要部材に旧材を用いて修復されたものが残っています。
富士見櫓
「櫓(やぐら)」とは、倉庫や防御の役割をもった建物で、かつて江戸城には19の櫓がありました。今は、伏見櫓、桜田二重櫓と、この富士見櫓の3つが残っています。その中で、富士見櫓は唯一の三重櫓です。明暦の大火(1657年)で消失した天守閣の代用としても使われ、将軍が両国の花火や品川の海を眺めたといわれています。Fujimi-Yagura : Mt. Fuji-View Keep
"Yagura" is a building for both storage and defense. There used to be nineteen keeps in Edo Castle. Of the nineteen keeps that surrounded Edo Castle, only three still remain : Fushimi-Yagura, Sakurada-Niju-Yagura and Fujimi-Yagura. Fujimi-Yagura is the only three storied keep. It was named for Mt. Fuji which could be seen from there in former times. This was a very important building in those days, since it served as a substitute for the donjon destroyed by fire in 1657. It was also used as the place, from where the Shogun enjoyed the views of fireworks at Ryogoku and of Tokyo bay.
富士見櫓はどこから見ても同じ形にみえるために「八方正面の櫓」とも呼ばれているということなんですけど、ぜんぜんちがいますよね。
(ちょっとこのあたりは調べて補足します)
また、太田道灌が「わが庵は松原つづき海近く富士の高嶺を軒端にぞ見る」という歌を詠んでいますが、その歌を詠んだ場所がこのあたりではないかといわれています。
皇居が一般公開される際はいつもとちがう角度から見ることができます。