本丸内の松の大廊下跡近くに、少し高台になっている場所があります。
その上に建てられているのが「富士見多聞」と呼ばれる多聞櫓です。
かつて江戸城本丸には15棟の多聞櫓がありましたが、富士見多聞はその中の唯一の現存遺構です。
この反対側には蓮池掘があり、水面から富士見多門までの石垣は、高さが約20mにもなる長大な石垣となっています。
一般参賀などの皇居公開時には外側(蓮池堀側)から富士見多聞を見ることができます。
なお、富士見多聞の中には鉄砲や弓矢が納められていました。
戦時においては、ここから蓮池掘側の敵を狙い撃てるようになっています。
富士見多聞
「多聞(たもん)」とは、防御を兼ねて石垣の上に設けられた長屋造りの倉庫のことで、多聞長屋とも呼ばれました。鉄砲や弓矢が納められ、戦時には格子窓を開けて狙い撃つことができました。本丸の周囲は、櫓(やぐら)と多聞で囲まれて万一に備えられていました。Fujimi-Tamon Defense-house
"A Tamon", which was called Tamon-Nagaya, was a building on the stone wall for defense, a kind of arsenal where arms (guns, bows and arrows etc.) were stored, and it was also designed for use in shooting an invading enemy in time of war. Honmaru (inner citadel) areas with Yagura (keep) and Tamon were always ready for any emergency.
またここには「御休息所前多聞」と刻まれた石標もあります。
御休憩所とは「本丸中奥にある将軍の私的な居間のことで、中奥は将軍が政務を執ったり、日常生活をする場」と説明されています。
本丸御殿中奥の御休憩所の前にあった多聞櫓ということなのでしょうね。
なお、このあたりの石垣が周囲よりも一段高くなっているのは、慶長度天守が築かれた頃に天守曲輪があったからです。