江戸城
江戸城

[東京都][武蔵] 東京都千代田区千代田


  • 平均評価:★★★★☆ 3.74(31位)
  • 見学時間:1時間36分(14位)
  • 攻城人数:3984(10位)

江戸城の天守

江戸城の天守は初代将軍の徳川家康、2代将軍の秀忠、3代将軍の家光と、3代にわたって3度築かれました。

3つの天守は元号にちなんで「慶長度天守」「元和度天守」「寛永度天守」と呼ばれています。
(最初の慶長度天守はすでに将軍職を秀忠に譲り、大御所となっていた家康によって建てられています)

『江戸図屏風』に描かれた元和度もしくは寛永度天守

天守の場所も異なり、慶長度天守は本丸中央西側でしたが、元和度天守および寛永度天守は本丸の最北部(現在の天守台付近)に築かれました。

元和度天守と寛永度天守の天守台はほぼ同じ位置に築かれましたが、寛永度天守台を担当した黒田家の『黒田家続家譜』によれば、向きは変えられたそうです。

それぞれの天守についてデータを整理してみました。

江戸城天守について

慶長度天守元和度天守寛永度天守
創建者徳川家康徳川秀忠徳川家光
竣工年1607年(慶長12年)1623年(元和9年)1638年(寛永15年)
解体年1622年(元和8年)1637年(寛永14年)1657年(明暦3年)
天守形式望楼型天守層塔型天守層塔型天守
天守の階数5重6階(地上5階、地下1階)5重6階(地上5階、地下1階)5重6階(地上5階、地下1階)
天守の外観屋根は鉛瓦葺、外壁は白漆喰総塗籠屋根は鉛瓦葺、外壁は白漆喰総塗籠屋根は銅瓦葺、外壁は銅板張
天守の高さ44.3m または 48m41.5m44.8m または 51m
天守台石垣の高さ14.5m または 18.2m12.7m13.8m

なお、天守の高さなど確定した情報がないものもありましたので、今後新たな資料が発見され次第、更新します。

3代将軍家光が1638年(寛永15年)に築いた寛永度天守が史上最大の天守であるという説は尊重したいですよね。

なお、この寛永度天守は完成後わずか19年後の1657年(明暦3年)、「明暦の大火(振り袖火事)」での飛び火により全焼し、以後は再建されませんでした。
前田綱紀によって御影石の天守台のみが再建され、現在も残っています。

その後は富士見櫓が天守の代用とされました。

1712年(正徳2年)に新井白石らにより再建が計画され、図面や模型の作成も行われましたが、白石の失脚によりこれも実現しなかったそうです。

   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

江戸城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

超約版 家康名語録

サイン本の企画で当選して、楽しく読ませてもらっています。家康の環境が段々と変化していくに連れて名言としてもより変化が感じられ、今まで知らなかった事がたくさんありました!
何より現代においての名言の活用内容なども書かれており、ただの歴史本と言うだけではない本でした

御城印好きさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る