江戸城の天守は初代将軍の徳川家康、2代将軍の秀忠、3代将軍の家光と、3代にわたって3度築かれました。
3つの天守は元号にちなんで「慶長度天守」「元和度天守」「寛永度天守」と呼ばれています。
(最初の慶長度天守はすでに将軍職を秀忠に譲り、大御所となっていた家康によって建てられています)
天守の場所も異なり、慶長度天守は本丸中央西側でしたが、元和度天守および寛永度天守は本丸の最北部(現在の天守台付近)に築かれました。
元和度天守と寛永度天守の天守台はほぼ同じ位置に築かれましたが、寛永度天守台を担当した黒田家の『黒田家続家譜』によれば、向きは変えられたそうです。
それぞれの天守についてデータを整理してみました。
江戸城天守について
慶長度天守 | 元和度天守 | 寛永度天守 | |
---|---|---|---|
創建者 | 徳川家康 | 徳川秀忠 | 徳川家光 |
竣工年 | 1607年(慶長12年) | 1623年(元和9年) | 1638年(寛永15年) |
解体年 | 1622年(元和8年) | 1637年(寛永14年) | 1657年(明暦3年) |
天守形式 | 望楼型天守 | 層塔型天守 | 層塔型天守 |
天守の階数 | 5重6階(地上5階、地下1階) | 5重6階(地上5階、地下1階) | 5重6階(地上5階、地下1階) |
天守の外観 | 屋根は鉛瓦葺、外壁は白漆喰総塗籠 | 屋根は鉛瓦葺、外壁は白漆喰総塗籠 | 屋根は銅瓦葺、外壁は銅板張 |
天守の高さ | 44.3m または 48m | 41.5m | 44.8m または 51m |
天守台石垣の高さ | 14.5m または 18.2m | 12.7m | 13.8m |
なお、天守の高さなど確定した情報がないものもありましたので、今後新たな資料が発見され次第、更新します。
3代将軍家光が1638年(寛永15年)に築いた寛永度天守が史上最大の天守であるという説は尊重したいですよね。
なお、この寛永度天守は完成後わずか19年後の1657年(明暦3年)、「明暦の大火(振り袖火事)」での飛び火により全焼し、以後は再建されませんでした。
前田綱紀によって御影石の天守台のみが再建され、現在も残っています。
その後は富士見櫓が天守の代用とされました。
1712年(正徳2年)に新井白石らにより再建が計画され、図面や模型の作成も行われましたが、白石の失脚によりこれも実現しなかったそうです。