江戸城の本丸御殿は1606年(慶長11年)に完成しましたが、その後何度も地震や火災により倒壊・焼失し、そのたびに再建されました。
記録に残っているだけでも、
- 1622年(元和8年)改築
- 1637年(寛永14年)改めて新造
- 1639年(寛永16年)焼失
- 1640年(寛永17年)再建
- 1657年(明暦3年)焼失(明暦の大火)
- 1659年(万治2年)再建
- 1844年(弘化元年)焼失
- 1845年(弘化2年)再建
- 1859年(安政6年)焼失
- 1860年(万延元年)再建
- 1863年(文久3年)焼失
と再建・焼失を繰り返しています。
最後の1863年(文久3年)の焼失以降は本丸御殿は再建されずに、機能を西ノ丸御殿に移したため、現在、本丸御殿跡は芝生の広場になっています。
本丸御殿は、表・中奥・大奥という3つの空間にわかれていました。
表は将軍の謁見など公的な儀式を行う場所で、中奥は将軍の日常生活を送る場所、大奥はドラマなどでも有名なように将軍の正室や側室など女性たちの生活場所でした。
天守台のスロープの途中に本丸御殿について書かれた案内板があります。
江戸城本丸御殿
この天守台から見える大芝生とその周辺には、江戸城本丸御殿の建物が立ち並んでいました。本丸御殿は、表(おもて)、中奥(なかおく)、大奥(おおおく)という三つの空間に分かれていました。
表には、将軍の謁見(えっけん)など公的な儀式・行事、幕府諸役人の執務の場で、中奥は将軍の日常生活、政務を執る場、大奥は御台所(みだいどころ)と呼ばれた将軍の正妻をはじめ家族や女性たちの生活の場でした。Edo Castle
The large lawn and surrounding area seen from this Tenshudai (Tenshukaku Donjon Base) were formerly lined with the buildings of the Honmaru Goten Palace. The Honmaru Goten Palace consisted of three sections, namely, Omote, Nakaoku and Ohoku.
Honmaru Goten Palace
Omote was the stage for general public ceremonies, and the place of work for various government officials of the Shofunate. Nakaoku was where the shogun lived his everyday life and administered the affairs of state. Ohoku was where the shogun's family, including the wife of the shogun called Midaidokoro, lived, and where other ladies or female staffs also lived.
このあたりは大奥があった場所になりますね。
江戸東京博物館には本丸御殿の模型が展示されています。