東西約5.5km、南北約4km、周囲約14kmの城域を誇る江戸城は、名実ともに近世城郭として国内最大の巨大城郭といえます。その歴史は太田道灌による築城にはじまりますが、徳川家康によって大幅に改修されました。現在は皇居として利用されていますが、本丸・二の丸・三の丸部分は、皇居東御苑として開放されているため、自由に見学することができます。桜田門をはじめ、切込接の美しい石垣をあちこちで見ることができます。江戸時代に天守は三度建てられており、いずれも当時国内最大の規模を誇っていましたが、明暦の大火で焼失してからは再建されていません。天守台は残っていて見学できます。
目次
江戸城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
項目 | データ |
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曲輪構成 | 渦郭式 |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 25 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:424.8 ha 外郭:2082 ha |
天守縄張、天守形式 | 独立式層塔型 |
天守の階数 | 5重5階、地下1階 |
天守の種類 | 非現存天守 |
天守の高さ | 44.84 m |
天守台石垣の高さ | 13.8 m |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 1457年(長禄元年)に太田道灌によって天守相当の高閣望楼建築が築かれた。その後、徳川氏により三度建て替えられた。1607年(慶長12年)に家康が5重6階(地上5階、地下1階)、白亜総塗籠の望楼型天守をあげた(連結式天守だった説もあり)。この天守を「慶長天守」と呼ぶ。1622年(元和8年)に秀忠がこの慶長天守を解体し、天守台の位置もずらして再建をはじめた。1623年(元和9年)には独立式層塔型5重6階(地上5階、地下1階)の天守(元和天守)が完成した。さらに1637年(寛永14年)には3代将軍・家光によって天守が再建される(完成は翌年)。この「寛永天守」も独立式層塔型5重6階(地上5階、地下1階)であったが、その大きさは元和天守を上回り、我が国最大の天守であったが、完成後間もない1657年(明暦3年)の「明暦の大火」で類焼してしまう。その後、幕府で天守復興が検討され、翌年には天守台が再建されたが、けっきょくは天守は再建されず、富士見櫓を天守の代用とした。なお、この富士見櫓はかつて太田道灌が築いた最初の天守にあたる静勝軒と同じ位置にある。現在残る天守台石垣は寛永天守焼失の後に積み替えられたもので高さは6間(約11.8m)だが、下部1mほどは埋没している。 |
築城主 | 太田道灌 |
築城開始・完了年 | 着工 1457年(長禄元年) |
廃城年 | |
主な改修者 | 徳川家康、徳川秀忠、徳川家光、宮内省・宮内庁 |
主な城主 | 太田氏、北条氏、徳川氏、天皇家 |
遺構 | 櫓、門、石垣、土塁、堀 |
指定文化財 | 特別史跡、国の重要文化財(桜田門、田安門清水門) |
復元状況 | 富士見櫓、伏見櫓、多聞櫓桜田巽櫓、和田倉門 |
更新日:2023/06/06 12:37:56
江戸城の見所や歴史などを紹介します。
項目 | データ |
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営業時間 |
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料金(入城料・見学料) |
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休み(休城日・休館日) |
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トイレ |
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コインロッカー |
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写真撮影 |
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バリアフリー |
江戸城の見所は城メモをご覧ください
さらに先の週間天気予報については気象庁のサイト 等で確認してください。
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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