別名 銀杏城、千葉城、隈本城
お知らせ 詳細
熊本城は築城の名手と謳われた加藤清正によって築かれた城です。江戸時代から残る宇土櫓や「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる石垣が有名です。清正は籠城戦になった際の対策として120カ所の井戸を掘り、また食料確保のため城内の建物の土壁にかんぴょうを塗篭め、畳床には食用になる「ずいき」を用いるなど、実戦的な城でした。なお天守は西南戦争で焼失したため、現在ある天守は復元されたものです。
熊本城を訪問した3644人の報告によれば、平均見学時間は1時間58分、平均評価は4.14点となっています。
目次
熊本城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
熊本城に関するデータ 情報の追加や修正
50.9 m
内郭:20 ha 外郭:98 ha
3重6階、地下1階
32 m
16 m
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「一の天守」とも呼ばれる大天守は、一般に5重の天守として見られているが、2重目にあたる部分と4重にあたる部分のものは屋根ではなく庇とするので、正確には3重の天守である。天守台から少し張り出す「張出造(はりだしづくり)」で、張り出し部分には石落しが設けられていた。この複合式望楼型天守は1877年(明治10年)、西南戦争開戦直前に失火により焼失。現在の復興天守は1960年(昭和35年)に熊本国体開催と築城350年を期に、1億8000万円の費用をかけて外観復元されたもの。
出田秀信(千葉城)、鹿子木親員(隈本城)、加藤清正(熊本城)
着工 1469年〜1487年頃
1874年(明治7年)
加藤清正
加藤氏(54万石)、細川氏(54万石)
現存櫓、門、塀、石垣、堀
特別史跡、国の重要文化財(櫓11棟、門1棟、塀1棟)
外観復元:大小天守、平櫓、馬具櫓。木造復元:西大手門、数奇屋丸二階広間、南大手門、西出丸戌亥櫓、未申櫓、元太鼓櫓、飯田丸五階櫓、本丸御殿大広間
登録日:2013/11/17 17:35:45
更新日:2024/10/09 19:40:43
熊本城の見所や歴史などを紹介します。
見学情報・施設案内 情報の追加や修正
年末(12月29日~12月31日)
可
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熊本城の見所は城メモをご覧ください
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有料
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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