鹿児島城は江戸時代に島津家久によって築かれた城で、270年にわたって島津氏の居城として利用されました。「関ケ原の戦い」で西軍側に属して敗北した島津氏が、徳川家康の薩摩征伐に備えて築いた城でもありますが、朝鮮出兵や関ケ原の影響で財政が苦しかったこともあり、石高77万石の薩摩藩の城とは思えないほど質素な作りでした。現在も本丸と二の丸の周囲の石垣がほぼ完全な形で残されており、2020年(令和2年)3月31日に御楼門が復元されました(総工費10億9000万円)。また、本丸跡に建てられている黎明館には鹿児島城のジオラマが展示されています。
目次
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11.2 m
内郭:-- 外郭:--
島津家久
着工 1602年(慶長7年) 〜 竣工 1604年(慶長9年)
1872年(明治5年)
島津吉貴
島津氏
石垣、堀、石橋
県史跡
御楼門
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 11.2 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 島津家久 |
築城開始・完了年 | 着工 1602年(慶長7年) 〜 竣工 1604年(慶長9年) |
廃城年 | 1872年(明治5年) |
主な改修者 | 島津吉貴 |
主な城主 | 島津氏 |
遺構 | 石垣、堀、石橋 |
指定文化財 | 県史跡 |
復元状況 | 御楼門 |
更新日:2023/12/07 14:21:27
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項目 | データ |
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歴史好きな方であっても「世界史」と言われるとカタカナ文字だらけだったり、地域を跨ぐ国がいくつも栄衰したりで手が出し難いと思います。
一方「鉄砲伝来」とか「日本銀」のお話と言うと、ここ最近のテレビ番組でも特集が組まれたりしているので、もっと詳しく広い範囲で知りたい方もいらっしゃるのではないでしょうか?
この本は対馬や琉球などの「日本と海外の境界地」を中心とした戦国期の歴史から民族の流れや需要と供給の変化などを知ることが出来ますよ。
なので読み進め方は最初から読むよりも興味のあるキーワードがある章から読み始め、最後に全体を通して読むのが良いと思います。
個人的なおすすめは第6章でざっくり言うと、豊臣秀吉の朝鮮出兵の本当の目的は?その結果世界(特にアジア圏)はどう変わったか?のお話です。
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