鹿児島市吉野町にある仙巌園(せんがんえん)にいってきました。
大河ドラマ「西郷どん」でもたびたび登場した島津氏の別邸&迎賓館ですが、島津斉彬の代にできたのではなく、もともとは江戸初期の1658年(万治元年)に19代・島津光久によって造園されました(斉彬は28代当主)。
仙巌園訪問レポート
仙巌園はかなり広大な敷地(約5ha)で、エリアは大きく反射炉跡、庭園、御殿、尚古集成館にわかれています。
このうち尚古集成館は館内撮影不可だったので、それ以外のエリアを中心に写真で振り返っていきます。とくに御殿は最高だったので写真多めです。
反射炉跡
島津斉彬が鉄製大砲の鋳造を目的に築いた施設です。
この反射炉はヨーロッパ式工場群「集成館」事業の中核であり、当時は約20mの高さの建物だったそうです。
なにがすごいかって、斉彬たちは実物を見ずにオランダの書物のみを参考にこの反射炉を建設したことですね。
園内通路
仙巌園の中は無料のWi-Fiもありました。
すごくきれいに整備されているので、歩いてるだけでも楽しいです。
正門
仙巌園は1888年(明治21年)以降、29代・島津忠義の(鹿児島城に代わる)居館として利用されましたが、それにともなって1895年(明治28年)に建てられた正門です。
(忠義の死後、跡を継いだ島津忠重は東京に移住)
建材として樟(くすのき)が使用されています。
島津氏の家紋「丸十紋」が目立ちますね。
外側から見た正門です。
この写真も道路ギリギリから撮影しましたが、すぐ外が道路なので現在は使われていません。
庭園
つづいて仙巌園の庭園です。
標柱にも国の名勝に指定されたことが書いてあります。
この錫門は「西郷どん」のロケでも使われました。
屋根を薩摩特産の錫(すず)で葺いていることから名付けられました。江戸時代は藩主と嫡男のみが通ることを許された最高格式の門でした。
こんなふうにロケで使われたスポットにはそのシーンの写真とあわせて紹介する案内板が建てられており、とても親切です。
それにしても後ろには近代的な建物があるのに、うまいこと隠すように撮影するんですね。
もちろんここにもしっかり「丸十紋」があります。
このまま庭園を散策します。
訪問した日は天気が曇りだったのですが、それでも桜島がよく見えました。
この仙巌園は桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた、いわゆる借景庭園です。奥に見える生垣は当時は存在せず、道路と線路を隠すために近代に入ってから設けられたものだそうです。
だから幕末の頃はそのままはっきりと錦江湾と桜島が見えたのでしょうね。
庭園にはいくつか見どころがありますが、そのひとつが錫門のそばにある「獅子乗大石灯籠」です。英語だと「ジャンピング・ライオン・ランタン」と訳してますね。
これは島津忠義が1884年(明治17年)に造らせた園内最大の石灯籠とのことですから、ここに引っ越してくる直前にできたものです。
獅子の部分(飛獅子)は1877年(明治10年)の西南戦争で焼失した花倉御仮屋にあったもので、海岸から運ばれた笠石は八畳ほどの大きさだそうです。じっさい近くで見るとかなり大きいです。
「鶴灯籠」は1857年(安政4年)に島津斉彬がガス灯の実験をおこなったことで知られています。
「西郷どん」の特番で渡辺謙さんが話してましたね。
ちなみに鶴がいれば亀もいるということで、じつは亀は御殿から見える場所にあります。
そして「西郷どん」序盤の象徴的なシーンでもある御前相撲がおこなわれたのが、この前庭です。
仙巌園の庭園は360度どっちを向いてもきれいに整備された素晴らしい庭園でした。
この石階段も見覚えがありますが、やはりロケで使われていました。
敷地のもっとも東側に桜島展望ポイントがあります。
小高い丘になっていて、見晴らしがとてもいいのですが、どうしても電線が入ってしまうので撮影ポイントとしては微妙かもしれません。でもほんとに近くに見えるので、天気が良ければベンチに座ってゆっくり眺めるといいと思います。
ほかにも山のほうを散策できたり、竹林があったり、庭園だけで30分以上は歩いてたんじゃないかな。
最後に「猫神」を紹介しておきます。
17代・島津義弘が朝鮮出兵の際に猫を連れていって、その瞳孔の開きぐらいを見て時刻を推測したというエピソードがありますが、この仙巌園に猫神として祀られています。
ここに置いてあった石灯籠が十字紋のデザインでおしゃれでした。
御殿
いよいよメインの御殿です。
一部の展示物をのぞき撮影オッケーです。
大河ドラマの衣装が展示されていました。
二条城二の丸御殿や名古屋城本丸御殿を見てもわかるように、御殿建築では釘隠しや引手金具など細かい意匠のちがいで部屋ごとの格式を表現しますが、この仙巌園の御殿においても部屋ごとに釘隠しがちがうので見逃さないようにチェックしましょう。
ところどころ金が残ってるのがあります。
これは珍しいコウモリの釘隠しですが、コウモリは漢字で書くと「蝙蝠」で「蝠」の字が「福」に似てるから縁起が良いとされるそうです。
そしてこちらはさらに珍しい陶器でできた釘隠しです。桜島大根がデザインされています。
この中庭もすごくよかった。
池の中に八角形があるんですけど、いわゆる「八卦」を表現したものです。
前庭のほうに同じようなのがありますが、こちらは水中ではなく外にあります。
このふたつが対となって陰と陽を表しているんだとか。
風水の影響を受けているんじゃないかとおっしゃってました。
藩主の部屋がある建物だけ一段高くなっています。
段差になっているのが外側からもよくわかります。
入ってすぐの部屋が「謁見の間」です。
奥の部屋は床の間があったり、違い棚があったり、典型的な書院造になっています。
杉戸絵がたくさん残っていて、しかもこれだけ海に近い場所なのに色もきれいでした。
(ただガラスで保護されているので写真に撮るのはむずかしいです)
この御殿でもっとも格式が高い部屋が「御居間」です。
錦江湾と桜島がいちばん美しく見える部屋です。
欄間も美しいですよね。松竹梅が彫られています。
反対側の寝室(御寝所)から見ると光が透けてさらに美しいんです。
寝室全体です。
蚊帳を釣る金具も残っています。
生活空間ですから、お風呂やトイレもあります。
じつは畳の縁(へり)にも意味があります。
この模様は「高麗縁(こうらいべり)」というもので、清少納言の枕草子にも「青畳と高麗縁の取り合わせが美しい」と紹介されるほどの伝統あるデザインです。
上の図柄は高麗縁白大紋(大紋高麗縁)で、もともとは、皇族・摂関家・大臣が座る畳の縁に使われていました。
最近では寺社仏閣の座敷などに使われているそうです。
一方、下のほうは高麗縁白小紋(小紋高麗縁、九条紋)といわれるもので公卿が座る畳の縁として使われます。現在は白小紋のほうが珍しくなってるようですが、京都御所などで見ることができるそうです。
二条城にもあるというネットの記事を見つけたので、今度見てきます。
なお御殿内に展示されているこの薩摩焼の大花瓶は、明治維新150年を記念して復元されたものです。
1896年(明治29年)、当時のロシア皇帝・ニコライ2世の戴冠式の際、島津家から贈られたとされるもので、本物はいまでもロシアのエルミタージュ美術館に保管されています。
御殿内には着物を着たガイドのお姉さんが何人もいるので、いろいろ気になったことがあれば質問すると教えてもらえます。
ここで紹介した蝙蝠の釘隠しの意味とか、畳の縁の模様の話などはすべてガイドの方に教わりました。
尚古集成館
尚古集成館の本館として使用されているこの建物は1865年(慶応元年)に竣工した、現存する日本最古の石造り洋式機械工場です。
「旧集成館機械工場」として国の重要文化財となっています。
館内は島津氏800年の歴史を紹介する博物館になっています。
別館のほうにも少しだけ展示があります。
鹿児島に来たら仙巌園にもぜひ立ち寄ってほしい
鹿児島城から少し離れているので、ぼくも前回の鹿児島訪問時には時間が足りなくてけっきょく寄らずに帰ったのですが、今回はじめて仙巌園を訪問してみて、その素晴らしさに感動しました。
天気がもうひとつだったんですけど、今度は快晴のときに再訪したいなと思っています。
移動(交通費)ですが、ぼくは鹿児島中央駅からタクシーに乗ったので1920円でした。鹿児島城や城山など市内を巡回するループバスのルートにも入っているので時間に余裕がある場合はバスを利用すれば170円です。
なお今年の11月には正面入口から入ってすぐのところに世界遺産ガイダンス施設ができるらしいです。
世界遺産に登録されたことも知りませんでしたが、なにより「島津建設」にびっくりしますね。