2020-07-01から1ヶ月間の記事一覧
今回は明治時代におこなわれた天守の払い下げについての解説です。ちょっと意外なテーマですが、たしかにお城にとっては大事な歴史のひとつですね。
湯築城は戦国大名・河野氏の居城ということもあり、気になるお城ランキングで常に上位にいます。資料館のみなさんの対応が素晴らしくて、訪問した方はみんな褒めてますね。
今回は明治以降に再建された天守がいつ建てられたのかについての解説です。文化庁が定めた基準を満たした復元天守は全国に5城しかないというのは、すごく貴重な存在ですね。
原城は「島原の乱」で3万7千人の一揆勢が立てこもった城として知られています。一気としては日本の歴史上最大規模となります。島原藩主・松倉勝家は責任を問われて改易、のちに斬首となりましたが、江戸時代に大名が切腹ではなく斬首を命じられた唯一のケー…
今回は再建された天守のうち「復興天守」と「模擬天守」についての解説です。お城めぐりをはじめた頃は、こうした史実とことなる再建天守を邪道だと思ってましたが、最近はこれはこれでありと感じるようになりました。ちがうということさえわかっていれば地…
団員の十林寺さんが板橋区立美術館で開催中の館蔵品展「狩野派学習帳 今こそ江戸絵画の正統に学ぼう」を見てきたそうです。さっそくレポートを書いていただいたので紹介します。
「本能寺の変」はおもしろすぎるのだ、という総括がすべてですね。いつどこで誰が何をしたかという情報がすべてで揃っているのに、唯一光秀の動機だけがよくわからないので奇説珍説が百花繚乱となっています。
今回は再建された天守のうち「復元天守」についての解説です。その多くが第二次世界大戦で焼失したのですが、旧国宝(戦前の国宝)に指定されていたものが多く、写真などの資料が残っていたので再建できました。
新発田城というと3匹のシャチホコが載った復元三重櫓が有名ですが、もともとは上杉景勝に反乱を起こした新発田重家の居城でした。もし「本能寺の変」が起きてなければ、上杉家は滅んでいたかもしれませんね。
二条城で開催された学芸員解説会に参加してきたので、そのレポートを書きました。今回もスライドをぜんぶ撮影したのでみんなに共有しますね。
今回は全国に残る現存12天守についての解説です。もちろん修復をつづけながらなのですべての部材が創建当時のままなんてことはないのですが、木造建築のすごさを実感しますね。
「戦国みにまる」の製作者で現在クラウドファンディング実施中のshigekiさんに、このゲームのおもしろさについてインタビューさせていただきました。
金沢城は加賀百万石、前田家のイメージが強いですが、その前は「百姓の持ちたる国」と言われ、本願寺勢力が支配する土地でした。佐久間盛政が初代城主をつとめたのですが、統治は容易ではなかったでしょうね。
合戦において天守そのものを囲まれることはほぼなかったものの、大坂の陣や戊辰戦争では天守に大砲が撃ち込まれるなど敵の攻撃目標になったり、また味方の避難場所として使われました。軍事的性格が強いお城の場合、天守に井戸やトイレなどの設備が備え付け…
歴史はどこか一か所だけで進行するものではなく、各地で同時に起こり、また相互に影響を与え合うものであることがこの連載を通じてわかったと思います。最終回となる今回は当時まだ日本の外にあった琉球と蝦夷地についてのぞいてみましょう。
天守の急階段というと丸岡城(62度)を思い浮かべる人も多いと思いますが、じっさいには松本城や彦根城もほぼ同じ(61度)だそうですね。身長の高いぼくは頭をぶつけないように上り下りするのが大変です。
岩村城といえば女城主・おつやの方ですが、彼女は織田信長の叔母にあたるものの年齢は信長のほうが10歳年上だったようです。敵将・秋山虎繁との結婚はユニークなエピソードとしてよくクイズにもなりますね。
今回は天守の屋根をかざる鯱についての解説です。火除けのために置かれてるのは知ってましたが、鯱の頭が虎というのは知りませんでした。
佐賀城は龍造寺氏、そして鍋島氏の居城です。もともと龍造寺氏の家臣であった鍋島氏が城主に取って代わったわけですが、単によくある下剋上ではなく、両者はもう少し複雑な関係となっています。
今回は古風な天守らしさを象徴する廻縁と高欄についての解説です。松本城は雪が多いため、当初廻縁として造った廊下を屋内に設計変更したという話を聞いたことがありますが、姫路城はなぜでしょうね。
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近年「本能寺の変」の原因のひとつとして挙げられることの多い「四国政策説」ですが、長宗我部元親と織田信長のパイプ役を担っていたのが明智光秀で、信長の方針転換により面目を失ったため(また出世争いから脱落したと自覚したため)謀反を起こしたとされ…
今回は天守を装飾する懸魚や蟇股についての解説です。懸魚が火除けのまじないの意味があることは知っていましたが、梅鉢懸魚や蕪懸魚などいろんな種類があるんですね。
八王子城は北条氏康の三男である氏照によって築かれた城ですが、関東の城でありながら石垣も多く見られる巨大な山城です。城域があまりに広大であったため、未完成だった可能性もあるとか。
今回は天守にある破風の構造についての解説です。個々の名称をおぼえるだけじゃなく、たとえば寺社建築にも見られる懸魚は鯱と同様に火除けのまじないとした装飾であるとか、意匠の由来も知るとより楽しくなります。
城址はどこも哀愁を感じさせますが、なかでも小谷城は格別です。自害した浅井長政だけでなく、生き延びたお市の方と三姉妹のその後の運命があまりにドラマティックだからでしょうか。
今回は天守にある4種類の破風についての解説です。唐破風はその見た目が特徴的なのですぐにわかるのですが、入母屋破風と千鳥破風はけっこうまちがえやすいですね。
全国の武将印リストの作成にご協力いただいた、takubomayさんに武将印コレクターとなった経緯などについてインタビューさせていただきました。
明智光秀といえば謀反、そして下剋上ですが、「本能寺の変」よりも30年ほど前に起きたのが「大寧寺の変」と呼ばれる陶晴賢による謀反です。その後、晴賢は毛利元就に討たれるのですが、下剋上はなかなかむずかしいですね。
かつて秀吉が築いた御土居はいまでも京都市内に部分的に残っていますが、鷹ヶ峰の御土居は誰でもフェンスの中を見学することができるんです。