2020-08-01から1ヶ月間の記事一覧
今回は城内にある橋についての解説です。見学していると何度も橋を渡っているのにその種類についてちゃんと考えることは少ないと思います。でも敵兵を直列させるとか、攻められた際に壊して通行止めにするとか防衛上も重要な設備ですね。
「戦国みにまる-甲相駿編-」の試遊版を製作者のshigekiさんから送っていただいたので、さっそく遊んでみました。
関白というとのちに豊臣秀吉がついた公家の最高位ですが、「麒麟がくる」の時代に関白職についていたのは近衛前久でした。破天荒とも異端児とも称される前久ですが、戦国時代を生き抜くにはこのくらい公家離れしていないとむずかしかったとも言えますね。
今回は土塀の構造についての解説です。土塀だけで2回というのもすごいことですが、土塀の作り方について教わることはなかったのでちょっと新鮮ですね。
今回は土塀の種類についての解説です。あまり注目されることはありませんが、お城の防御にとってなくてはならないもののひとつですよね。築地塀は時間とお金がかかるので現存例が少ないとのことですが、二条城にありますね。
今回は門扉(もんぴ)の構造についての解説です。簡単に侵入を許さないため、城門の扉は非常に頑丈につくられていました。お城を訪問した際はこうした門扉の表面や裏側もチェックしてみると楽しいと思います。
けっきょく消去法で説をつぶしていくと「本能寺の変」という事件は僥倖というほかないくらいの偶然生まれた状況を、明智光秀が利用した(魔が差した)と結論づけるしかなさそうです。もちろん小さな遠因はいくつかあったでしょうし、近年注目されている四国…
今回は棟門、冠木門、塀重門についての解説です。冠木門は山城の登城口などにもよく復元されてますね。塀重門は二条城ではいまでも二の丸庭園との境界など数箇所で見ることができます。
来月発売となる攻城団の御城印ガイドブック「全国 御城印 大図鑑」以外にも、じつは何冊か御城印を紹介する書籍やムックが発売されているのでまとめてみました。
今回は埋門についての解説です。城門の種類としてはかなりレアな埋門ですが、姫路城の「るの門」も埋門ですよね。門の存在がわかりにくいので敵の背後を突くための隠し通路として作られたようです。突破されそうになったら埋めて塞ぐためとも。
攻城団が執筆し、宝島社から発売される「全国 御城印 大図鑑」を5名の方にプレゼントします!
今回は高麗門についての解説です。桝形虎口の一の門はだいたい高麗門になってますね。両脇の城壁よりも高いかどうかで新式・旧式のちがいがあることは知りませんでした。
「本能寺の変」に黒幕がいたとすれば、明智光秀を従わせるだけの権力があり、かつ織田信長を殺害する動機がある人物(なり組織)ということになりますが、当時の顔ぶれでその条件を満たせる人物は皆無ですよね。
今回は城門の中でも格式の高い門として知られる薬医門についての解説です。二条城の東大手門は当初もいまも櫓門ですが、寛永期の天皇行幸にあわせて(2階から見下ろすのは不敬ということもあり)一時期だけ薬医門に改修されました。
第2シーズン最終回は人吉城です。相良氏にこんな内紛があったことは知りませんでした。この時代、親兄弟でも対立することは珍しくなかったとはいえ、バトルロイヤルみたいな展開ですね。
今回は櫓の名称についての解説です。鉄砲櫓や硝煙櫓などは倉庫としての名称ですし、太鼓櫓などもそうですね。城外を監視する目的の櫓は本丸や二の丸の四隅に建てられることが多く、方位の名前がついてることが多そうです。
二条城で開催されている「二条城×ネイキッド 夏季特別ライトアップ2020」に行ってきました。
田辺城は京都にあるといっても日本海側なので、西軍は気にせず大津城を落としておけばなんの問題もなかったはずなんですけどね。そもそも500しか兵がいなかった情報をつかめてない時点でどうなのかと。
今回は櫓門についての解説です。おそらく格式の高さでいうと唐門のほうが高いと思うのですが、もっとも強固で防御力にすぐれた門なので大手門などの主要な門に使われています。
「本能寺の変」に黒幕がいたという説はどれも根拠がありませんが、秀吉や家康以外にも朝廷、足利義昭、毛利輝元、森蘭丸、堺商人、イエズス会などたくさんの黒幕候補がいます。誰かが書いてましたが、黒幕にあやつられたとするのは明智光秀に対してとても失…
藩祖というのはその藩が成立(立藩)したときの初代藩主とほぼ同じ(たまに加賀藩前田家や福岡藩黒田家など初代藩主の父になる)と思っていましたが、どうやらその考え方はまちがっていたようです。
今回は平櫓と多門櫓についての解説です。多門櫓の名前の由来については松永久秀の多聞城(多聞山城)から命名された説以外にも、楠正成が渡櫓内に多聞天を祀ったからとか諸説あるそうですね。
御城印バインダーに新カバーが登場しました。品切れだったリフィルも補充しましたのであわせてお買い求めください。
丸亀城の人柱伝説、とくに「裸重三」のほうは現地にも案内がありましたが、石垣をのぼることなんて石工じゃなくてもできるだろうと不思議に思っていました。生駒正俊が一国一城令の際に幕府の目をごまかして存続させたという話の真相も気になります。
今回は二重櫓についての解説です。貴重な三重櫓と比べて、現存する二重櫓は全国にけっこうあります。内部を公開されているケースもけっこうあるので、ありがたく見せていただきましょう。
掛川城というと山内一豊の居城のイメージが強いですが、もともとは朝比奈氏の城なんですよね。ちなみにその当時の城は掛川古城と呼ばれていて、いまの掛川城からは少しだけ離れた場所にあります。
今回は三重櫓についての解説です。現存する三重櫓は8城12基と現存天守と同じくらいレアです。天守とちがって内部が公開されていないところも多いので、より貴重かもしれませんね。
「本能寺の変」における明智光秀の動機としてもっとも古くから語られてきたのは、いわゆる「怨恨説」というものでした。ただその根拠はどれも乏しく、むしろほかに理由になりそうなことが考えられないからという消去法的な推論だったようです。