藤堂高虎といえば「築城の名手」として有名ですが、じっさいどれだけのお城を築城したのでしょうか。ちょっと気になったので調べてみました。
前に見たテレビ番組では次の18城だと紹介されていましたね。
(番組名は忘れてしまいましたが、情報元は『藤堂家記録』のようです)
そのほか『今治城見聞録―四百年の歴史を紡ぐ海のお城の物語』などを参考に、調べてみてわかった情報をまとめてみました。
藤堂高虎がかかわったとされる城
- 有子山城(1583年、天正11年)
- 大和郡山城(1585年、天正13年)
- 京都聚楽第(1586年、天正14年)※秀吉の命により縄張り
- 粉河城(1587年、天正15年)※秀吉から紀伊粉河1万石を与えられ、猿岡山に城を築く
- 赤木城(1589年、天正17年)
- 伏見城(1594年、文禄3年)※秀吉の命により助工
- 宇和島城(1596年、慶長元年)※宇和郡7万石の領主として起工
- 伊予大洲城(1597年、慶長2年)※大洲1万石の加増を受け、城を築く
- 順天倭城(1597年、慶長2年)※慶長の役で朝鮮に宇喜多秀家らと城を築く
- 膳所城(1601年、慶長6年)※家康の命により築城助工および縄張り
- 甘崎城(1601年、慶長6年)※大改修
- 灘城(1601年、慶長6年)※大改修
- 今治城(1602年、慶長7年)※伊予半国20万国の領主として起工
- 伏見城(1602年、慶長7年)※修理助役
- 江戸城(1606年、慶長11年)※幕府の命により江戸城大修理の縄張り
- 津城(1608年、慶長13年)※伊勢・伊賀22万石、津城の大改築を行う
- 伊賀上野城(1608年、慶長13年)※大改修
- 丹波篠山城(1609年、慶長14年)※家康の命により縄張り
- 丹波亀山城(1610年、慶長15年)※家康の命により普請の手伝い
- 二条城(1619年、元和5年)※幕府の命により縄張り
- 和歌山城(1619年、元和5年)※幕府の命により石垣工事
- 大坂城(1620年、元和6年)※修復
- 淀城(1623年、元和9年)※秀忠の命により普請の手伝い
このほか高槻城や駿府城にもかかわったという記事も見つけたのですが、真偽はわかりませんでした。
また1585年(天正13年)には羽柴秀長の和歌山城築城に関与したという情報もありました。
さらに城以外の建築物でいうと、こんな活躍もしています。
- 日光東照宮の造営奉行(1617年、元和3年)
- 上野寛永寺の造営(1626年、寛永3年)
- 京都南禅寺に三門(楼門)を造営寄付(1626年、寛永3年)
いやーほんとにすごい活躍ぶりですね。八面六臂の大活躍です。
「いい仕事をするから、また頼まれる」というのは現代でも共通していますけど、人間としても信用できる人物だったんでしょうね。「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」と主君を7回も変えてることを否定的に捉える方もいますが、この時代はダメな主君は見かぎるのが当たり前だったので、現代の感覚とはちがいます。
徳川家康に「国に大事があるときは、高虎を一番手とせよ(なにか困ったことがあったら、高虎に相談せよ)」とまでいわせたわけですから、その絶大なる信頼にもびっくりです。高虎は外様なのにね。
「藤堂高虎がかかわったお城巡り」というのも楽しそうですね。
ぼくもだいたいは攻城済みなんですけど、粉河城や赤木城はまだいったことがないし、甘崎城ははじめて知りました。なんでも甘崎城は海に浮かぶ島がそのまま城郭になっていて、干潮時に歩いて渡れるそうです(江ノ島みたいなものですね)。これはぜひ攻めてみたい!
攻めたいお城がまた増えてしまいましたが、こうやって知れば知るほど興味が次々と湧いてくるというのが楽しいですね。
ちなみにこれは津城にある高虎の像。こっちは甲冑です。目立つ兜がかっこいいですね。
ちなみにこの兜は「黒漆塗唐冠形兜(くろうるしぬりとうかんなりかぶと)」といって、豊臣秀吉より藤堂高虎が拝領したものだそうです。
この本もよかったですが、入手困難になってますね。
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