築城には多くの人間と培ってきた技術が投入される。さらには占いや迷信のようなものまで取り込まれている。
四神(白虎、青龍、朱雀、玄武)によって守られている場所を選んだり、鬼門の方角に角を作らないように加工を施された城はいくつもある。
そのためか、城には真偽が疑わしい伝説がいくつか残されている。今回は面白い伝説が残る丸亀城を紹介したい。
丸亀城は讃岐国(現在の香川県丸亀市)にある城で、豊臣秀吉の家臣・生駒親正によって建てられている。親正が1587年(天正15年)に移封され、西讃岐の防衛が必要との考えから、亀山に城を建てることになった。
この城にはふたつの人柱伝説が残っている。
そのひとつが「豆腐売り」の伝説だ。
堅城とするために人柱にすると決めた。人柱は工事の無事を神に祈るために、建物の土台などに人間を埋めるというもの。それゆえ、誰を人柱にするのかは決められなかった。
そんな折、雨が降っている夕暮れにひとりの豆腐売りが作業場を通りかかった。豆腐が売れず、普段は来ない場所まで足を運んでいたのだ。人夫たちは豆腐売りをとらえ、あらかじめ作っておいた穴に入れてしまった。豆腐売りは状況を察して、人柱になるのは嫌だと泣きながら懇願したが、人夫たちは容赦なく土をかけ、豆腐売りを人柱にしてしまった。
そのため、城の近くでは豆腐売りがすすり泣く声が聞こえたという。
もうひとつは「裸重三」の伝説がある。
城の石垣は名人と謳われた石工・羽坂重三郎によって作られ、彼は仕事をするときはいつも裸であったため「裸重三」と呼ばれていた。石垣は三の丸で21m、平面から本丸までは60mまで達する。現存の石垣は再建されたときのものだと言われ、裸重三の仕事を確認することはできない。
仕事した重三郎だけではなく、依頼した親正も石垣の出来には満足していた。
親正が作業中の城を訪れたとき、重三郎とともに石垣の周りを見て回った。親正は石垣を、空を飛ぶ鳥以外には石垣を越える者はないと褒めた。それを聞いた重三郎は、一尺の鉄棒があれば登れますと答えた。
やってみよという親正に応じた重三郎は宣言通り、鉄棒を使って石垣をよじ登ってしまった。
親正は重三郎が敵に通じた場合に脅威となると考え、家臣に重三郎の処分を命じた。そうとは知らない重三郎は井戸を調べて欲しいと頼まれ、鉄棒を使って水面まで降りた。その時、大きな石を上から落とされて井戸の底に沈んでしまった。こうして裸重三も城の人柱にされたと伝わっている。
このふたつの伝説は真実とは考えにくい。豆腐の売り歩きは江戸になってからの文化であるし、石工が道具を使って石垣を登っても特段警戒するようなものではないからだ。
伝説ができたのはその後の生駒氏の運命が影響している。親正の曾孫の代に起きたお家騒動が原因で、生駒氏は諸侯ではなくなっている。あまりにも早い支配者の交代に、市民が理由をつけた結果かもしれない。