2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧
今回は堀底の形状の分類についての解説です。薬研堀とか毛抜堀はよく城郭検定の問題に出るんですが、こういうのって誰が命名したんですかね。江戸時代の人?
朝倉宗滴の名で知られる朝倉教景は一族の軍師として、各地を転戦し武名を轟かせていました。
今回は水の入ってない堀=空堀についての解説です。空堀というと山城のイメージが強いのですが、じっさいは大坂城や名古屋城などの近世城郭にもあります。訪問した方であれば名古屋城の空堀に鹿がいるのを見たことがあるんじゃないでしょうか。
将軍家にかぎらず、兄弟間で世継ぎの座を争うことを避けるために嫡男以外を仏門にいれるということはよくある話でしたが、義昭については還俗してほんとうに幸せだったのかわからないですね。
今回はお城を囲う水堀についての解説です。近世城郭の水堀は鉄砲や大砲などの影響もありかなり幅が広いですよね。水堀越しに見る隅櫓はとてもカッコいいので好きな構図です。
名軍師・太原雪斎のエピソードは多々ありますが、軍事と外交の両面での才能が際立っているのがこの竹千代を取り戻した一連の軍事行動ですね。
今回は曲輪(くるわ)の名前についての解説です。どうして「西の丸」や「北の丸」はあるのに「南の丸」がないんでしょうね。南側に大手をつくる(=出丸はつくらない)ことが多かったとか?
軍師には祈祷師や僧侶などさまざまなタイプの者がいました。彼らは知識や交渉でもって味方に有利な状況をつくり勝利に貢献しました。
今回はお城の縄張りの形状についての解説です。たかまる。さんが書かれてるとおり「ひとつとして同じ縄張の城はない」のですが、一方で明らかに模倣・酷似してるケースもあるので、自分が訪問したお城の縄張りを見比べてみるのもおもしろいと思います。
それほど有名ではないものの、斎藤龍興という人はじつに興味深い人物です。信長に負け続けたものの、これだけ長きにわたって反抗し続けたのは見事です。
今回はお城の曲輪・郭についての解説です。お城の縄張りが地形を活かしてつくられたため、曲輪の形や大きさ、数もさまざまですが、近世城郭になっていくと平地に築かれたこともあり方形の曲輪が増えました。
戦に勝つために軍師が果たした役割についての解説です。戦う前に勝敗を決するような状況をつくることが有能な軍師には求められました。
株式会社カワダから世界最小級ブロック「nanoblock(ナノブロック)」の新商品として「首里城」が発売されました。この商品の売り上げの一部は「首里城火災復旧・復興支援寄付金」として寄付されるそうです。
今回はお城の縄張りについての解説です。「ここからここまでは門!」といった感じで縄を張ったことからそう呼ばれるようになったらしいのですが、平面的な地形から立体的なお城の完成形をイメージできる人はすごいなと思います。
戦国大名は相手に勝つために、少なくとも負けないために、事前に「戦略」を構想し、「戦術」を駆使しました。とくにその才能があったのが織田信長です。
今回は城内にあった蔵についての解説です。米蔵や武器庫として使われた以外にも、いろんなものを保管する蔵がありました。大阪城には金蔵や硝煙櫓などの貴重な蔵が残っていますね。
本能寺で開催された桐野作人先生による講演会「光秀と信長―天下布武の道―」を聞いてきました。「本能寺の変」の原因としての四国問題と折檻問題のお話はとても勉強になりました。
稲葉継陽先生による講演会「細川幽斎『古今伝授』と『天下統一』」を聞いてきました。古今伝授のことや江戸幕府が藤孝から聞いた室町幕府のマニュアルを参考にしたとかいろいろおもしろい話を聞けました。
市販されている御城印帳をいくつか購入して、そのちがいを調べてみました。ポケットのサイズ以外にもいろいとちがいがあることがわかったので、御城印帳を選ぶ際の参考にしてください。
今回は番所についての解説です。いまでいう守衛室や詰め所といったところですが、貴重じゃないこともあってすぐに取り壊されてしまい現存しているものがほとんどありません。江戸城の百人番所などはすごくきれいに残ってますよね。
いまさらではありますが、薄暗い建物内はスマホのカメラを通して見たほうがはっきり見える、ということに気づきました。お寺など照明がないところで美術品を見学する際は知っておくといいかも。
黒田俊雄先生の権門体制論によれば、中世は幕府を頂点とする「武家」のほか、天皇家・摂関家をはじめとする「公家」、寺社(寺家・社家)など複数の権門勢力があったとされます。さらに鉄砲など諸外国の影響も大きなものでした。
今回は馬屋についての解説です。唯一の現存馬屋が国宝の彦根城にあるので、城郭検定などでよく出題されますね。中で向きを変えさせるために幅を必要とするなら、駅でよくあるエレベーターのように後ろから入って前から出るような造りにすればいいのに。
守護や豪族などから大名として勢力を拡大していった者たちはさまざまな方法で周囲の豪族や、一族内での争いを収め、自らの権力基盤を確立していきました。
今回は御殿の中奥と奥についての解説です。前回の表御殿と異なり、中奥と奥はプライベートスペースとなります。もっとも城主や将軍にとってプライベートがどこまで守られていたかというと疑問ですけれど。
朝倉家の家老・山崎吉家についての史料はそれほど残っていないのですが、武将として、外交官としてじつに有能な人材だったようです。越前時代の光秀と関係があったかはわからないのですが、ふたりの関係をうかがわせるようなエピソードがありました。
今回は表御殿についての解説です。御殿の各棟についての案内はよく見ますが、天井のちがいについてまで紹介されることは珍しいですね。猿頬天井というのは知りませんでした。名古屋城本丸御殿は撮影も可能なので、天井の写真をアップで撮って見比べるのも良…
軍師の役割について理解する前に、まずは戦国時代の武士勢力のあり方と合戦の仕組みについて紹介します。
攻城団のロゴを箔押しした御城印バインダーの在庫を大量に補充しました。前回購入できなかった方はぜひお買い求めください。
今回はお城の御殿についての解説です。現存する御殿は国内に4つ(二条城、高知城、川越城、掛川城)のみですが、復元された名古屋城や佐賀城の御殿も見事ですので、ぜひ見学してほしいです。