2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧
光秀の長女「お岸」は最初、荒木村重の息子に嫁いだとされます。村重が謀反を起こした際に離縁となり、その後は親族でもある明智左馬助(明智秀満)に嫁いだのですが、ドラマでもそのへんは描かれそうですね。
光秀と勝家、ともに織田家の重臣同士ではあるものの、意外と接点はなかったのでしょうか。
江戸時代に存在した藩の数を知りたいだけなのに、見つけることができませんでした。藩の定義から整理していかないとダメなようです。
江戸時代に存在した藩と、それぞれの歴代藩主について、ぱっと見ただけで全体を把握できるようなデータをつくっています。
今日から公開が再開された二条城を訪問してきました。府民限定ということもあり貸切状態でしたが、ひさしぶりに訪問できてテンションが上がりました!
美濃を追われた明智光秀が仕えたとされるのが朝倉義景なのですが、この話はほんとうなのでしょうか。
最終回はおまけとして、裏道ともいえるイレギュラーな出世を遂げた人物たちを紹介します。田沼意次や柳沢吉保など有名どころから、脇坂安董など通な人物までお楽しみください。
譜代にかぎらず、江戸時代の大名たちには参勤交代や御手伝普請などの負担が重くのしかかっていました。なかには旅費を工面できずに涙を流した藩主もいたそうです。
一部の大名家をのぞいて、譜代大名の出世の最高位は「老中」でした。老中になるためにはいくつかの条件があり、また賄賂なども必要だったようです。
幕府に用意されていたさまざまなポストの紹介と、立身出世を目指した譜代大名たちの出世コースについてまとめました。
譜代大名は江戸幕府において重要な役割を占めていました。領地は国内の要所に配置され、また幕政においても要職は原則、譜代大名が就任していました。
譜代大名といっても徳川家(松平家)にいつの時期から仕えたかによって立場が異なっていたようです。
GW中にツイッターで開催されていた「#コロナに負けるな御城印好き達」という企画について、主催者のtakubomayさんにお話を伺いました。
江戸幕府においていわゆる親藩・譜代・外様と呼ばれた大名たちのうち、譜代大名の定義についてまとめてあります。
藤田伝吾は「多聞院日記」によれば筒井順慶との取次役だったとされ、また別の史料「蓮成院記録」によれば明智姓を与えられ、光秀が死んだときに伝吾も自害したそうです。
この連載も最終回となりました。最後に紹介するのは未完となった『見知らぬ海へ』です。主人公は向井水軍の長・向井正綱で、彼は武田勝頼の家臣としてに北条水軍に勝利した名将です。武田家滅亡により徳川家康に仕えることとなりますが、彼は常に「海の家来…
今川義元、徳川家康とふたりの偉大な戦国大名を育てた太原雪斎はこの時代、屈指の軍師ともいわれています。軍師といえば、秀吉には竹中半兵衛や黒田官兵衛といった軍師がいたのに、光秀にはいなかったのでしょうか。
柳生一族が何度も登場する隆慶一郎の作品ですが、柳生をテーマにした短編集もあります。どちらかというとヒール(悪役)な立場に置かれがちな柳生の人々にもきちんと光を当てて、その人間的な魅力がいくつもの作品で紹介されています。
自らの領地の支配者でもあった大名は江戸幕府からの理不尽な要求に耐えながらも、家を残すために創意工夫をもって奔走していました。