攻城団ブログ

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島津氏の歴史は、戦国時代以前がとってもカオス! 電子書籍『三州大乱そして下剋上/南九州戦乱史1』を紹介

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「ムカシノコト、ホリコムヨ。」というぼくが愛読している島津関連の情報を発信されているブログがあるのですが、その運営者の「ふひとべのべ」さんが『三州大乱そして下剋上/南九州戦乱史1 南北朝争乱から島津貴久の覇権掌握まで』という電子書籍を出されました。
ぼくもさっそく購入したのですが、みなさんにも紹介したいと思い、著者本人による本の紹介をお願いしました!

こんにちは「ふひとべのべ」です。鹿児島県に住んでいて、地元の歴史を調べたり、城跡を歩いたりしています。運営ブログて情報も発信しています。

2025年3月にAmazonのKindleにて電子書籍を出版しました。タイトルは『三州大乱そして下剋上/南九州戦乱史1 南北朝争乱から島津貴久の覇権掌握まで』。「Kindle Unlimited」の対象にもなっています。こちらの本を紹介します! 

目次はつぎのとおり。

一章 南九州には巨大荘園があった
二章 南九州の在地領主たち
三章 島津氏がやってきた
四章 鎌倉時代に来た者たち
五章 南九州の南北朝争乱
六章 総州家と奥州家
七章 大混乱の十五世紀
八章 文明の大乱
九章 島津相模守忠良
十章 下剋上

島津忠良・島津貴久の下剋上はなぜ起こったのか?

戦国時代の島津氏については、島津忠良・島津貴久から語られることが多いですね。一族の抗争を勝ち抜いて、分家から惣領の座をものにする。そして、島津貴久が領内の反抗勢力を制していき、息子たち(島津義久・島津義弘・島津歳久・島津家久)の代に三州(薩摩国・大隅国・日向国)を制圧。さらには九州北部へも進出していく。……というような感じでしょうか。豊臣政権の傘下に入ったあとも、朝鮮での活躍があったり、関ヶ原の戦いでの撤退戦があったりと、けっこうな存在感を放っています。

戦国島津氏は、それなりに知名度があると思われます。ゲームやマンガでも強い設定になっていたりもして、細かいことはわからなくても「なんか強いらしい」とか「武闘派」といったイメージを持たれているんじゃないのか、って。

一方で、島津忠良よりも前の時代は、ほとんど知られていないのではないでしょうか。地元の鹿児島でもあまり注目されていません。じつは、島津氏の歴史は島津忠良以前がものすごく面白い! ひと言で説明するならば「ずっと乱世」。14世紀の南北朝争乱期で泥沼の抗争に突入し、そのまま戦国時代まで戦乱が続いているという感じなのです。

島津忠良は分家の相州家の当主でした。本家筋にあたる奥州家にとってかわり、嫡男の島津貴久が守護職を得ることになります。この下剋上の要因は「本家の弱体化」「三州大乱」と説明されます。では、なぜ本家が弱体化してしまったのか? 「三州大乱」という領内の統制がきかない状態になったのはどうしてなのか? 時代を遡ると、そのあたりの事情も見えてくる。そして、いろいろな因縁があることもわかってきます。

南九州中世史の出来事いろいろ

14世紀と15世紀の南九州について、ピンと来ない人が多いと思われます。なので、「こんなことがあったよ」ということを抜き出してみました。乱世っぷりが感じられるでしょうか?

  • 島津貞久は足利尊氏に協力。九州の攻略を任される。幕府からは南九州方面の大将として畠山直顕も派遣された。
  • 「観応の擾乱」や足利直冬党(佐殿方)の出現もあり、戦況は複雑化。島津氏は北朝方と南朝方を行ったり来たり。
  • 島津氏久(南朝方)と畠山直顕(佐殿方)の全面抗争。島津方が戦いを制し、大隅国を制圧。さらに日向国南部へも進出。
  • 島津貞久は二人の息子に守護職を分けて相続。島津師久に薩摩国守護を、島津氏久に大隅国守護を譲る。島津師久の系統を「総州家」、島津氏久の系統を「奥州家」という。
  • 島津氏久が九州探題の今川貞世(今川了俊)と対立。島津氏は幕府を敵に回して戦う。守護職も没収される。
  • 島津元久(奥州家)と島津伊久(総州家)が抗争。結果的に奥州家が惣領に。島津元久は薩摩・大隅・日向の守護に幕府から任じられる。ここも下剋上。
  • 島津元久が急死。後継に伊集院頼久の嫡男(元久の甥にあたる)が立てられる。しかし、島津久豊(元久の弟)が葬儀に乱入して強引に家督を相続。
  • 伊集院頼久の乱。島津久豊(奥州家) vs. 伊集院頼久・総州家・伊作氏。内乱は長期化。結果は島津久豊が勝利。
  • 島津久豊の死後、あとを継いだ島津忠国が家老らと対立。追放され、弟の島津用久(薩州家の祖)が立てられる。その後、島津忠国が覇権奪還に動き、島津用久と抗争を繰り広げる。
  • 島津忠国と島津用久が和睦。その後、またも家老らと対立。息子の島津立久により島津忠国は追放される。
  • 島津立久が亡くなり、幼い島津忠昌が家督を継いだあと領内が大乱となる。島津忠昌(奥州家/守護)に対して、島津国久(薩州家)・島津季久(豊州家)が反乱を起こす。島津豊久(伯州家)・島津忠徳(羽州家)も呼応。さらに島津友久(相州家)も反乱に加わった。
  • 伊作久逸と新納是久が日向飫肥で反乱を起こす。反乱は薩摩にも波及。ちなみに、伊作久逸は島津忠良の祖父にあたる。また、新納是久は母方の祖父。

こんな城が出てきます

本書に出てくる「城」についてもちょっと紹介。おもなものを羅列してみる。それぞれの城が持った役割とか、そこであった戦いについてちょこちょこ触れています。

薩摩国

木牟礼城碇山城伊作城東福寺城谷山城一宇治城串木野城市来城清水城(鹿児島)/清色城給黎城頴娃城貝殻崎城/平山城(河邊城)/松尾城(河邊)/別府城(加世田城)/牛山城(大口城)/上山城  ほか

大隅国

姫木城/上井城/清水城(国分清水)/笑隈城/橘木城/平山城(帖佐本城)/加治木城/岩屋城/溝邊城/瓜生野城(建昌城)/大姶良城高山城弓張城鹿屋城/加瀬田ヶ城/蒲生城/松尾城(吉田城)/岩剣城/松坂城/末吉城  ほか

日向国

志布志城/胡麻ヶ崎城/三俣院高城/梅北城飫肥城/櫛間城/穆佐城都之城/野々美谷城 ほか

ちなみに、島津氏の本拠地の変遷はつぎのとおり。けっこう拠点を移しています。
本家および総州家は、木牟礼城→碇山城→平山城(河邊城)。
奥州家は、東福寺城→大姶良城→志布志城→清水城(鹿児島)。

最後に

「ふひとべのべ」が運営するブログ『ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。』にも電子書籍の紹介記事があります。こちらには目次の詳細も載せているので、興味のある方は見てみてください。また、ブログでは南九州の歴史に関する記事や登城記なども掲載しています。

rekishikomugae.net

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