近世城郭(きんせいじょうかく)には幅の広い水堀が何重にも巡らされていました。
近世城郭では平城(ひらじろ)が主となってきたためです。
今回は平城に多く見られる水堀について学んで行きましょう。
近世城郭(きんせいじょうかく)の水堀(みずぼり)
近世になって平城(ひらじろ)が多く作られるようになってくると、堀は水堀(みずぼり)が中心になっていきました。
山城や平山城では堀に水をためることがあまりできませんが、平地であれば川などから水を引いてくることができました。
また、堀を掘れば自然に水が湧いてくることもありました。
かつては水堀を「濠」、空堀を「壕」と書いて区別していたようです。
絵図を読み解くときに役立つかもしれませんね。
何重もの堀
近世の城郭では堀を何重にも巡らすことが多かったです。
二重の場合は内側から内堀(うちぼり)、外堀(そとぼり)と呼ばれました。
三重の場合は内側から内堀、中堀(なかぼり)、外堀と呼ばれました。
総堀(そうぼり、惣堀とも書く)というのは一般的に外堀のことを示しますが、城によっては外堀のさらに外側に作られた城下町を囲う堀のことを指すことがあります。
これを総構え(そうがまえ、惣構えとも書く)と呼ぶことがあります。
しかし、現在は都市開発などによって中堀や外堀が埋められ、内堀だけが残っている城が大半です。
堀の仕掛け
水堀は、堀の幅が広ければ広いほど防御能力が高くなっていきます。
つまり堀幅が広くなると渡っていくことが困難になっていくからです。
重い鎧などを着た武士は堀を泳いで渡ることは簡単にはできませんでした。
重いために沈んでしまうこともありました。
堀の中で動きが鈍くなっているときには、城内からの鉄砲や弓矢の攻撃でやられてしまうこともありました。
さらに水堀の中には、つるを伸ばす植物を植えるのがよいとされていました。
なぜならこのつるが掘を泳ごうとしている敵兵に絡みついて身動きを取れなくするからです。
こういったことも敵を寄せつけいないためには必要なことで、細かなことにも仕掛けを施していたのですね。
まとめ
近世城郭で平城が増えてくると、堀は空堀から水堀へと進化していきました。
また水堀の中にはつる性の植物を植えたり、堀幅を広くするなどして防御能力を格段に上げていったようです。
ということで、近世城郭に多く見られる水堀の話でした。
じゃあね🖐️
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