城には山城(やまじろ)、平山城(ひらやまじろ)、平城(ひらじろ)という分類がありますが、それとは別の概念として海城(うみじろ)というのがあります。
湖や海に接するところに築かれた城です。
三大海城と呼ばれるものに、高松城(たかまつじょう)、今治城(いまばりじょう)、宇和島城(うわじまじょう)があります。
今回は、この三大山城をご紹介します。
三大海城
三大海城と呼ばれているのは
- 高松城(たかまつじょう、香川県高松市)
- 今治城(いまばりじょう、愛媛県今治市)
- 宇和島城(うわじまじょう、愛媛県宇和島市)
です。
高松城(たかまつじょう)
高松城は、天正16年(1588)に生駒親正が築城した城です。
海水を取り入れた幅の広い水堀が本丸や二の丸、三の丸を巡る海城になっています。
城跡には月見櫓(つきみやぐら)や水手御門(みずのてごもん)、艮櫓(うしとらやぐら)が現存しています。
今治城(いまばりじょう)
今治城は、瀬戸内海の海水を取り入れて三重の堀をめぐらせた海城です。
慶長7年(1602)に藤堂高虎が築城を開始し、慶長13年(1608)に完成しました。
本丸には日本初の層塔型の五重天守が建てられました。
現在の天守は昭和55年(1908)に建てられた復興天守です。
宇和島城(うわじまじょう)
宇和島城は、藤堂高虎が慶長元年(1596)から6年とかけて築いた海城です。
藤堂高虎が創建した天守は望楼型だったが、寛文6年(1666)に建てられた2代目の天守は3重の層塔型天守です。
千鳥破風や唐破風などの装飾性の高い飾りが特徴で、これが現存している天守です。
現在は埋め垂れられてしまったが、かつては総郭(そうぐるわ)の半分ぐらいが直接海に接していたらしい。
海城(うみじろ)とは?
水面が穏やかな琵琶湖や瀬戸内には湖や海に接して城が築かれました。
これらを水城、海城と呼びます。
当時の物流は海・湖・川などを利用する水上交通が主流で、川や海を抑えることは武将にとってとても重要なことでした。
そのため、湖や海に接して城を築いたのです。
たたし、城攻めの戦略の一つである水攻めはできなかったため、攻略するのは難しかったと思われます。
まとめ
三大海城はと呼ばれているのは、高松城、今治城、宇和島城の三城です。
いずれもかつて海城だった名残が残っていますので、海城巡りも楽しいかもしれませんね。
ということで、三大海城のご紹介でした。
じゃあね🖐️
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