西郷隆盛が自刃することとなった城山の近くに西郷隆盛像があります。
場所は県立博物館と市立美術館の間、鹿児島まち歩き観光ステーションのとなりです。
この像の高さは5m以上(525.7cm)あるそうです。
敬天愛人(けいてんあいじん)
―天を相手に人生を全うした誠心の英雄―西郷隆盛(さいごうたかもり)は幕末維新の指導者で、明治天皇の信頼が厚く、日本最初の近衛(このえ)都督陸軍大将になりました。
1827年(文政10)下加治屋町(しもかじやまち)郷中(ごちゅう)に生まれた西郷は、幼少を小吉(こきち)、通称を吉之助(きちのすけ)といい南州と号しました。青年時代に二才頭(にせがしら)として農政に関する意見書を提出。藩主島津斉彬(しまづなりあきら)の目にとまり側近に抜擢され、国事への関心を高めました。ところが、その斉彬が急死。勤皇僧月照(げっしょう)と錦江湾に投身、一人生き残って大島に流されました。その後、大久保利通(おおくぼとしみち)らの助けで幕府を倒す運動に復帰。藩論を指導し、薩長連合を結んで、王政復古の大号令を決行。東征大総督府参謀として江戸無血開城を実現しました。
新政府が樹立した後は、参議として廃藩置県を断行。岩倉具視(いわくらともみ)、木戸孝允(きどたかよし)、大久保利通らが外遊中の政府を預かりました。1873年(明治6年)遣韓(けんかん)使節をめぐる政争に敗れて東京から鹿児島に帰った後は、私学校を開き後進の指導にあたりましたが、彼らの血気に押され、ついに西南戦争へと突入。1877年(明治10年)西郷は城山で自刃(じじん)しました。
この銅像は、郷土出身の彫刻家、安藤照(あんどうてる)が習志野(ならしの)大演習で陸軍大将の制服を身につけた西郷の姿を思い描き製作したものです。
鹿児島市