お知らせ 詳細
清色城は島津氏の家臣である入来院氏の居城です。入来院氏は鎌倉から下向してきた渋谷光重の五男・渋谷定心を祖とし、「清色殿」と呼ばれていました。豊臣秀吉による九州征伐後に入来院重豊が領地替えとなり一時期島津氏の直轄地になりますが、1613年(慶長18年)に入来院重国(重高)がこの地に戻り、地頭として入来麓に仮屋をかまえていました。本丸の周辺に「中之城」「松尾城」「求聞持城」「西之城」と独立した出丸が存在する群郭式の城で、この地方によく見られるシラス台地を切り取った断崖絶壁の切通しが登城道入口にあります。現在城址は国指定史跡として見学用の遊歩道が整備されており、山麓には武家屋敷跡の石垣も確認できます。また居館(地頭仮屋)跡にある薩摩川内市立入来小学校の周辺には堀や石垣が残っており、城址碑が建てられています。
清色城を訪問した104人の報告によれば、平均見学時間は1時間3分、平均評価は4.29点となっています。
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入来郷土館前駐車場
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清色城では過去に以下のようなイベントが開催されたり、ニュースが紹介されました(1年以内の情報だけ表示しています)。
三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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