清色城は島津氏の家臣である入来院氏の居城です。入来院氏は鎌倉から下向してきた渋谷光重の五男・渋谷定心を祖とし、「清色殿」と呼ばれていました。豊臣秀吉による九州征伐後に入来院重豊が領地替えとなり一時期島津氏の直轄地になりますが、1613年(慶長18年)に入来院重国(重高)がこの地に戻り、地頭として入来麓に仮屋をかまえていました。本丸の周辺に「中之城」「松尾城」「求聞持城」「西之城」と独立した出丸が存在する群郭式の城で、この地方によく見られるシラス台地を切り取った断崖絶壁の切通しが登城道入口にあります。現在城址は国指定史跡として見学用の遊歩道が整備されており、山麓には武家屋敷跡の石垣も確認できます。また居館(地頭仮屋)跡にある薩摩川内市立入来小学校の周辺には堀や石垣が残っており、城址碑が建てられています。
清色城を訪問した113人の報告によれば、平均見学時間は1時間15分、平均評価は3.78点となっています。
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入来郷土館前駐車場
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清色城では過去に以下のようなイベントが開催されたり、ニュースが紹介されました(1年以内の情報だけ表示しています)。
260年近く泰平な世の中であった江戸時代、徳川幕府に付いて知りたくこの本を手にした。
徳川政府(徳川幕府の事)とか、禁裏(朝廷の事)とか、聞き慣れない言葉が所々に出てきて最初は違和感を感じ、アメリカの研究者が書かれたものを翻訳されたものなので仕方がないと思っていましたが、最後まで読み終えると、「そうだったのか」と目から鱗が落ちた気持ちになります。
まとめとしては、徳川政府が把握する「表」の歴史と各大名が把握している「内証」の歴史は違う事をお互いに容認することで争い事のない泰平な世が260年近く続ける事が出来たようです。しかし、諸外国の進出により、この状況を理解させられなかったことから幕府の権威が失墜し、明治維新に繋がったということですが、それに繋がる研究事例がよくまとめられていました。
以上の様に、何故江戸時代が260年近くに渡り泰平な世だったかを理解するのにベストな一冊かと思います。
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