河内浦城は天草五人衆のひとり、天草氏の居城です。向かいの山に築かれた下田城とあわせて、ひとつの城を構成していました。「関ケ原の戦い」後は寺沢氏の支城となり、並河兵衛門宗政が城主をつとめましたが、「元和の一国一城令」によって廃城となり、以降は郡代屋敷が置かれました。1637年(寛永14年)に起きた「島原の乱」では江戸から派遣され、乱を鎮圧した老中・松平信綱の宿所としても使われています。現在城址は「河内浦城跡公園」として整備されており、堀切などが残っています。山麓にある崇円寺は館跡と推定されており、また発掘調査で見つかった遺物は「河内浦城跡資料展示館」に展示されています。
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河内浦城跡公園駐車場
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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