佐敷城は梅北国兼らが起こした「梅北の乱」の舞台になった城として知られています。築城年代は明らかではありませんが、加藤清正によって近世城郭に改修されました。清正の死後も肥後支配のための重要な支城のひとつとして維持されていましたが、1615年(元和元年)の一国一城令により廃城となります。なお「島原の乱」後には破却不十分として、ふたたび徹底的な破却が行われましたが、二度にわたって破却されたにもかかわらず本丸、二の丸の石垣はよく残っています。城址は現在、佐敷城跡城山公園として整備されており、2008年(平成20年)3月には国の史跡に指定されています。
佐敷城を訪問した246人の報告によれば、平均見学時間は47分、平均評価は3.79点となっています。
佐敷城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
佐敷城に関するデータ 情報の追加や修正
88 m( 80 m)
内郭:-- ha 外郭:-- ha
---
---
---
---
『肥後国絵図』には3重の天守が描かれているが、1993年(平成5年)から2001年(平成13年)にかけて行われた発掘調査では礎石が見つからず、実在したかどうかは不明。
佐敷氏
着工 南北朝時代
1615年(元和元年)
加藤清正
佐敷氏、相良氏、島津氏、宮原景種、加藤重次
石垣
国史跡(佐敷城跡)
---
登録日:2014/01/26 12:43:29
更新日:2024/10/07 03:32:46
佐敷城へのアクセス情報 情報の追加や修正
あり
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。 フィードバック
佐敷城とあわせて訪問するのにオススメのお城です。
佐敷城の周辺にあるホテルや旅館を表示しています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
佐敷城の周辺3km以内にあるスポットを表示しています。
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
歴史上有名人のサイン帳。花押2045点、印章393点が使用した人物名の五十音順に並んでいる。総勢1,112名には天皇、公家、僧、書家・画家などもみられるが武将、大名が大半かな。花押は肉筆なだけに人柄を想像してしまう。個を立てつつ恭順の気持ちも込めてデザインを考えたのかな、筆の勢いとかバランスとか(本人 or 右筆が)何度も練習したのかなと思うと楽しい。バリエーションの豊さ第1位は伊達政宗で花押21種印章9種。細川忠興の印章で「tada uoqui」とアルファベットを使っているのには目を引かれた。雪舟や長谷川等伯らの名前もあってページをめくっていたらあっという間に日が暮れてしまった。
男性ばっかりと思うなかれ、高台院、光明皇后の印章、そして春日局の花押も掲載されている。巻末には没年順の索引があって光明皇后(701~760年没)はその筆頭だ、偉い。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する