宇土城はキリシタン大名として知られる小西行長によって築かれた城です。「関ケ原の戦い」で行長が西軍についたため、戦後は加藤清正に与えられます。その際、宇土城の天守は清正によって熊本城へ移築され、宇土櫓となったという伝承があります。現在は本丸跡が城山公園として整備され、小西行長の銅像があります。遺構としては石垣、堀などが残っています。
目次
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16.6 m( 13 m)
内郭:-- 外郭:20 ha
3重5階
1589年(天正17年)頃に小西行長によって築かれたとされる天守は、現在の熊本城の宇土櫓として移築されたといわれるが、1927年(昭和2年)に宇土櫓を解体修理した調査の際には移築の痕跡が見られず、否定されている。
小西行長
着工 1589年(天正17年)
1612年(慶長17年)
加藤清正
小西氏、加藤氏
石垣、堀、土塁など
宇土市指定考古資料(慶長13年銘滴水瓦)、宇土市指定史跡(宇土城跡)
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 16.6 m( 13 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:20 ha |
天守縄張、天守形式 | 望楼型 |
天守の階数 | 3重5階 |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 1589年(天正17年)頃に小西行長によって築かれたとされる天守は、現在の熊本城の宇土櫓として移築されたといわれるが、1927年(昭和2年)に宇土櫓を解体修理した調査の際には移築の痕跡が見られず、否定されている。 |
築城主 | 小西行長 |
築城開始・完了年 | 着工 1589年(天正17年) |
廃城年 | 1612年(慶長17年) |
主な改修者 | 加藤清正 |
主な城主 | 小西氏、加藤氏 |
遺構 | 石垣、堀、土塁など |
指定文化財 | 宇土市指定考古資料(慶長13年銘滴水瓦)、宇土市指定史跡(宇土城跡) |
復元状況 |
更新日:2023/11/30 14:22:05
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) | |
駐車場 |
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