別名 近世宇土城、城山
宇土城はキリシタン大名として知られる小西行長によって築かれた城です。「関ケ原の戦い」で行長が西軍についたため、戦後は加藤清正に与えられます。その際、宇土城の天守は清正によって熊本城へ移築され、宇土櫓となったという伝承があります。現在は本丸跡が城山公園として整備され、小西行長の銅像があります。遺構としては石垣、堀などが残っています。
宇土城を訪問した295人の報告によれば、平均見学時間は33分、平均評価は3.09点となっています。
宇土城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
宇土城に関するデータ 情報の追加や修正
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16.6 m( 13 m)
内郭:-- ha 外郭:20 ha
3重5階
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1589年(天正17年)頃に小西行長によって築かれたとされる天守は、現在の熊本城の宇土櫓として移築されたといわれるが、1927年(昭和2年)に宇土櫓を解体修理した調査の際には移築の痕跡が見られず、否定されている。
小西行長
着工 1589年(天正17年)
1612年(慶長17年)
加藤清正
小西氏、加藤氏
石垣、堀、土塁など
宇土市指定考古資料(慶長13年銘滴水瓦)、宇土市指定史跡(宇土城跡)
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更新日:2025/05/13 03:32:16
宇土城へのアクセス情報 情報の追加や修正
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260年近く泰平な世の中であった江戸時代、徳川幕府に付いて知りたくこの本を手にした。
徳川政府(徳川幕府の事)とか、禁裏(朝廷の事)とか、聞き慣れない言葉が所々に出てきて最初は違和感を感じ、アメリカの研究者が書かれたものを翻訳されたものなので仕方がないと思っていましたが、最後まで読み終えると、「そうだったのか」と目から鱗が落ちた気持ちになります。
まとめとしては、徳川政府が把握する「表」の歴史と各大名が把握している「内証」の歴史は違う事をお互いに容認することで争い事のない泰平な世が260年近く続ける事が出来たようです。しかし、諸外国の進出により、この状況を理解させられなかったことから幕府の権威が失墜し、明治維新に繋がったということですが、それに繋がる研究事例がよくまとめられていました。
以上の様に、何故江戸時代が260年近くに渡り泰平な世だったかを理解するのにベストな一冊かと思います。
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