麦島城は小西行長の命により家臣の小西末郷によって築かれた城です。当時、麦島城の北側は大きな入江となっており、ここに豊臣秀吉の直轄港であった徳淵津が設けられ、南蛮貿易の拠点として機能したと考えられています。「関ケ原の戦い」後に加藤清正がこの地を与えられると、家臣の加藤正方が城代となり、改修を行いましたが、1619年(元和5年)に起きた大地震によって倒壊しています。その後、新しく八代城を築くことになります。当時の遺構はすべて地下に埋め立てられているため見ることはできませんが、シルバー人材センター建設に伴う調査で見つかった二の丸石垣の合坂部分が八代市シルバーワークプラザ古城館の1階ロビーに展示されています。
麦島城に関するデータ 情報の追加や修正
3.6 m
内郭:-- 外郭:--
1588年(天正16年)頃に小西行長によって築かれたとされる天守は、1619年(元和5年)に起きた地震により倒壊。
小西行長
着工 1588年(天正16年)
1619年(元和5年)
加藤氏
国史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 輪郭式 |
縄張形態 | 平城 |
標高(比高) | 3.6 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 連立式望楼型 |
天守の階数 | |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 1588年(天正16年)頃に小西行長によって築かれたとされる天守は、1619年(元和5年)に起きた地震により倒壊。 |
築城主 | 小西行長 |
築城開始・完了年 | 着工 1588年(天正16年) |
廃城年 | 1619年(元和5年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 加藤氏 |
遺構 | |
指定文化財 | 国史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/03/19 03:26:41
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | なし |
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この本は日経新聞の土曜朝刊別刷に掲載中の「何でもランキング(1〜10位)」の旅に関する記事をまとめたもの(2019年8月発行)。《第1部、絶景を見に行く》のコーナーには「闇夜に浮かぶ城、冬こそ必見」、《第2部、そぞろ歩きを楽しむ》には「1日で散策満喫、ほどよいサイズの城下町」のページがあってそれぞれ10の城と城下町が紹介されています。松本城と弘前城は両方にランクイン、また「〜城下町」の方にはこうの団長のコメントや「調査の方法」のところには「お城ファンサイト「攻城団」などの推薦や…」というちょっと嬉しい表記も。
たまには攻城しないお出かけ先を探してみようと久しぶりに書棚から出したのですが、やっぱり「城、城下町」のページを真っ先にチェックしました。さて、同行者の満足ポイント(街歩きと地元の食やお酒)があって、ほどよく攻城できる次の行き先はどこになるかな。
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