八代城は加藤清正の子である忠広の命により、家臣の加藤正方によって「一国一城令」後に築かれた城です。加藤氏にかわり細川氏が熊本藩主になると、当時の藩主(忠利)の父である細川忠興が八代城の北の丸を隠居所としています。忠興が没した後は細川家の筆頭家老でかつ将軍直臣の身分も持つ松井興長を城主とし、以降は松井氏の居城となりました。現在は水堀に囲まれた本丸石垣や天守台が残っており、近辺にある市立博物館には八代城の城郭模型が展示されています。また、市内にある加藤忠正の菩提寺である本成寺に本丸にあった高麗門が移築されており、春光寺には永御蔵(米蔵)の薬医門と番所が移築復元されています。
目次
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4.8 m
内郭:-- 外郭:--
3重5階、地下1階
12 m
本丸の北西隅に3重6階(4重5階の説もあり)の大天守と2重2階の小天守、7棟の櫓をはじめとする建物があった。1672年(寛文12年)に落雷で焼失。
加藤忠広
着工 1619年(元和5年) 〜 竣工 1622年(元和8年)
1870年(明治3年)
加藤氏、細川氏、松井興長
天守台、石垣、堀
国史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 輪郭式 |
縄張形態 | 平城 |
標高(比高) | 4.8 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 連結式層塔型 |
天守の階数 | 3重5階、地下1階 |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | 12 m |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 本丸の北西隅に3重6階(4重5階の説もあり)の大天守と2重2階の小天守、7棟の櫓をはじめとする建物があった。1672年(寛文12年)に落雷で焼失。 |
築城主 | 加藤忠広 |
築城開始・完了年 | 着工 1619年(元和5年) 〜 竣工 1622年(元和8年) |
廃城年 | 1870年(明治3年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 加藤氏、細川氏、松井興長 |
遺構 | 天守台、石垣、堀 |
指定文化財 | 国史跡 |
復元状況 |
更新日:2023/11/29 03:26:20
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
|
アクセス(クルマ) |
|
駐車場 | 無料(50台) |
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