八代市立博物館未来の森ミュージアムによって作成された八代城の公式パンフレットです。
八代城について
八代城は、元和(げんな)5年(1619)の地震により麦島城(むぎしまじょう)が崩壊したため、熊本城主加藤忠広(かとうただひろ)が、幕府の許可を得て加藤正方(まさかた)に命じ、同6~8年にかけて球麿川河口北側の松江村に築城した平城(ひらじろ)です。 寛永(かんえい)9年(1632)加藤氏の改易により熊本城主となった細川忠利(ほそかわただとし)の父忠興(ただおき)(三斎)(さんさい)が入城し、北の丸を居所として本丸には四男の立孝(たつたか)(立允)(りゅういん)を居住させました。正保2年(1645)閏5月に立孝が、続いて12月に三斎が没したため、翌3年(1646)家老松井(長岡)興長(おきなが)が入城し、以後は松井氏が代々在城しました。