臼杵城は、大友宗麟が臼杵湾に浮かぶ丹生島に築いた海城です。当時は断崖絶壁の島で、四方を海に囲まれた珍しい城だったそうですが、現在は埋め立てられて陸続きになっています。江戸時代には稲葉貞通の居城となり、明治維新まで稲葉氏15代が藩主を務めました。現在は臼杵公園として整備されており、石垣や空堀が残っています。また、二の丸に畳櫓が、本丸に切妻造りの卯寅口門脇櫓が、それぞれ現存しています。
目次
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12.8 m
内郭:-- 外郭:--
3重4階
1601年(慶長6年)に複合式望楼型の3重3階の天守が築かれた。その後、1655年(明暦元年)頃に大規模な改修が行われ、5つの付櫓を組み合わせる梯立式天守が築かれたとされるが詳細は不明。1873年(明治6年)に取り壊された。
大友宗麟
着工 1562年(永禄5年)
1873年(明治6年)
大友氏、福原氏、太田氏、稲葉氏
曲輪、畳櫓、卯寅口門櫓、石垣、空堀、堀
大分県史跡
大門櫓
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 海城 |
標高(比高) | 12.8 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 梯立式層塔型 |
天守の階数 | 3重4階 |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 1601年(慶長6年)に複合式望楼型の3重3階の天守が築かれた。その後、1655年(明暦元年)頃に大規模な改修が行われ、5つの付櫓を組み合わせる梯立式天守が築かれたとされるが詳細は不明。1873年(明治6年)に取り壊された。 |
築城主 | 大友宗麟 |
築城開始・完了年 | 着工 1562年(永禄5年) |
廃城年 | 1873年(明治6年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 大友氏、福原氏、太田氏、稲葉氏 |
遺構 | 曲輪、畳櫓、卯寅口門櫓、石垣、空堀、堀 |
指定文化財 | 大分県史跡 |
復元状況 | 大門櫓 |
更新日:2024/03/19 12:23:33
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 有料 |
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この本は日経新聞の土曜朝刊別刷に掲載中の「何でもランキング(1〜10位)」の旅に関する記事をまとめたもの(2019年8月発行)。《第1部、絶景を見に行く》のコーナーには「闇夜に浮かぶ城、冬こそ必見」、《第2部、そぞろ歩きを楽しむ》には「1日で散策満喫、ほどよいサイズの城下町」のページがあってそれぞれ10の城と城下町が紹介されています。松本城と弘前城は両方にランクイン、また「〜城下町」の方にはこうの団長のコメントや「調査の方法」のところには「お城ファンサイト「攻城団」などの推薦や…」というちょっと嬉しい表記も。
たまには攻城しないお出かけ先を探してみようと久しぶりに書棚から出したのですが、やっぱり「城、城下町」のページを真っ先にチェックしました。さて、同行者の満足ポイント(街歩きと地元の食やお酒)があって、ほどよく攻城できる次の行き先はどこになるかな。
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