府内城は名軍師・竹中重治の従弟にあたる竹中重利の居城として知られており、日本100名城に選ばれています。かつて豊後国の守護職・守護大名であった大友氏の拠点であった場所に築かれた城で、遺構としては、本丸跡に人質櫓(二重櫓)と宗門櫓(平櫓)が現存しています。現在は大分城址公園として整備されており、3棟の二重櫓と大手門、土塀、廊下橋が復元されています。
目次
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府内城に関するデータ 情報の追加や修正
5.1 m
内郭:-- 外郭:--
4重4階
最初の天守は1599年(慶長4年)頃に福原直高によって創建されたとされるが、詳細は不明。その後、1602年(慶長7年)頃に竹中重利によって4重5階(地上4階、親1階)の複合式望楼型天守が築かれた。この天守は後に層塔型に改築されたが、1743年(寛保3年)に焼失した。
福原直高
着工 1597年(慶長2年)
1872年(明治5年)
竹中重利
竹中氏、大給松平氏
櫓2棟、石垣、堀
大分県文化財(人質櫓、宗門櫓)
櫓、門、橋
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 梯郭式 |
縄張形態 | 平城(海城) |
標高(比高) | 5.1 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 連立式層塔型 |
天守の階数 | 4重4階 |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 最初の天守は1599年(慶長4年)頃に福原直高によって創建されたとされるが、詳細は不明。その後、1602年(慶長7年)頃に竹中重利によって4重5階(地上4階、親1階)の複合式望楼型天守が築かれた。この天守は後に層塔型に改築されたが、1743年(寛保3年)に焼失した。 |
築城主 | 福原直高 |
築城開始・完了年 | 着工 1597年(慶長2年) |
廃城年 | 1872年(明治5年) |
主な改修者 | 竹中重利 |
主な城主 | 竹中氏、大給松平氏 |
遺構 | 櫓2棟、石垣、堀 |
指定文化財 | 大分県文化財(人質櫓、宗門櫓) |
復元状況 | 櫓、門、橋 |
更新日:2023/12/07 03:24:28
府内城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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