中津城は黒田官兵衛(孝高)によって築かれた城で、完成させたのは細川忠興といわれます。今治城や高松城と並ぶ日本三大水城のひとつに数えられています。本丸上段にある石垣には黒田氏時代のものを細川氏が拡張した継ぎ目が見られます。黒田氏時代に築かれた石垣は、現存する石垣としては九州最古のものです。江戸時代中期に奥平昌成が中津藩主となり、明治維新まで奥平家の居城となりました。1964年(昭和39年)には旧藩主奥平家が中心となり、市民らの寄付を合わせて模擬天守(奥平家歴史資料館)が建てられ、奥平忠昌が徳川家康から拝領した「白鳥鞘の鑓(しらとりざやのやり)」や「長篠の戦い」で使用された法螺貝などが展示されています。福沢諭吉旧居と並ぶ観光名所となっています。
中津城を訪問した1395人の報告によれば、平均見学時間は1時間4分、平均評価は3.48点となっています。
目次
中津城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
中津城に関するデータ 情報の追加や修正
5.3 m
内郭:-- ha 外郭:-- ha
5重5階
23 m
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天守の存在については不明。江戸時代の絵図には天守は描かれていないが、黒田孝高(如水)の手紙には「天守に銭を積んで蓄えた」とあり、天守の存在をうかがわせる記録もある。なお、現在ある模擬天守は1964年(昭和39年)に旧藩主奥平家が中心となり、市民らの寄付を合わせて建てられたもの。小倉城や名古屋城などの天守外観の復興に携わった、東京工業大学教授の藤岡通夫が設計を手がけた。鉄筋コンクリート構造で、外観は萩城天守をモデルとしている。
黒田孝高
着工 1588年(天正16年)
1871年(明治4年)
細川忠興
黒田氏(12万3千石)、細川氏(32万石)、小笠原氏(8万石)、奥平氏(10万石)
石垣、堀
市史跡
模擬天守、二重櫓、塀
登録日:2013/11/17 17:35:49
更新日:2025/01/14 22:11:40
中津城の見所や歴史などを紹介します。
見学情報・施設案内 情報の追加や修正
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なし
可
中津城の見所は城メモをご覧ください
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中津城では過去に以下のようなイベントが開催されたり、ニュースが紹介されました(1年以内の情報だけ表示しています)。
豊臣秀吉と柴田勝家の雌雄を決した賤ヶ岳の戦い。この戦いで活躍した、賤ヶ岳七本槍のメンバーのその後の人生と、八本目の槍、石田三成との人間模様を描いた物語です。
福島正則、脇坂安治、片桐且元、平野長泰、加藤清正、糟屋武則、加藤嘉明、7人のひとりひりの小姓時代の呼び名で物語が構成されてます。
それぞれが違う生い立ちの中、豊臣秀吉の小姓として見出され、天下分けめの関ヶ原の戦いで、東軍についたもの、負けるとわかっていても西軍についたもの、その後の世の中の流れを見据えた石田三成が、それぞれ7人に思いを寄せ、奔走した様が描かれており、石田三成の戦旗に記された意味が読み取れます。
本の帯にある通り、この小説を読み終えた時、その男石田三成を、大好きになりました。
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