別名 扇城、小犬丸城、丸山城

中津城は黒田官兵衛(孝高)によって築かれた城で、完成させたのは細川忠興といわれます。今治城や高松城と並ぶ日本三大水城のひとつに数えられています。本丸上段にある石垣には黒田氏時代のものを細川氏が拡張した継ぎ目が見られます。黒田氏時代に築かれた石垣は、現存する石垣としては九州最古のものです。江戸時代中期に奥平昌成が中津藩主となり、明治維新まで奥平家の居城となりました。1964年(昭和39年)には旧藩主奥平家が中心となり、市民らの寄付を合わせて模擬天守(奥平家歴史資料館)が建てられ、奥平忠昌が徳川家康から拝領した「白鳥鞘の鑓(しらとりざやのやり)」や「長篠の戦い」で使用された法螺貝などが展示されています。福沢諭吉旧居と並ぶ観光名所となっています。
中津城を訪問した1554人の報告によれば、平均見学時間は54分、平均評価は3.25点となっています。
中津城は中津藩の藩庁です。
中津城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
中津城に関するデータ 情報の追加や修正
5.3 m
内郭:-- ha 外郭:-- ha
5重5階
23 m
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天守の存在については不明。江戸時代の絵図には天守は描かれていないが、黒田孝高(如水)の手紙には「天守に銭を積んで蓄えた」とあり、天守の存在をうかがわせる記録もある。なお、現在ある模擬天守は1964年(昭和39年)に旧藩主奥平家が中心となり、市民らの寄付を合わせて建てられたもの。小倉城や名古屋城などの天守外観の復興に携わった、東京工業大学教授の藤岡通夫が設計を手がけた。鉄筋コンクリート構造で、外観は萩城天守をモデルとしている。
黒田孝高
着工 1588年(天正16年)
1871年(明治4年)
細川忠興
黒田氏(12万3千石)、細川氏(32万石)、小笠原氏(8万石)、奥平氏(10万石)
石垣、堀
市史跡
模擬天守、二重櫓、塀
更新日:2026/01/14 03:34:45
中津城の見所や歴史などを紹介します。
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なし
可
中津城の見所は城メモをご覧ください












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団員ブログ記事の丁寧な紹介記事を読み、攻城団テレビでも紹介されたので、面白そうと思って購入しました。
新書らしく、わかりやすい言葉と文章でまとめられており、歴史初心者の自分でも、挫折せずに読了できました。
「身勝手」「型破り」と、どちらかといえば批判的に捉えられてきた細川政元の行動を、時代背景、育った環境や人間関係等含めて丁寧に再検証し、「なぜ、その行動、選択に至ったのか」を読み解いています。
政元の再評価を目指して書かれた為か、全体にあたたかな目線で人物像が描きだされており、全肯定というわけではないけれど、好感が持てました。
また、タイトルにある「オカルト」に含まれる修験道への傾倒が、「境界を越えることができる者への憧れ」という考察には、とても納得させられました。
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